歴史を紐解けばヒットの要因がわかる! 連載:深掘りすれば見えてくるチューハイ編
近年、右肩上がりで伸長するRTD市場。中でもチューハイは圧倒的な存在感で市場をリードしている。そもそもチューハイが世に知られるようになったのはいつ頃からなのか? その歴史を知るために、酒文化研究所の山田聡昭氏に話を伺った。
缶チューハイの原点は宝焼酎「純」にあり
今やすっかりお馴染みのチューハイだが、その語源は「焼酎ハイボール」。無味無臭でクセのない甲類焼酎を炭酸で割って、果汁などを加えてつくられたお酒のことである。最近では、焼酎だけにとどまらず、ウォッカやジンなどホワイトスピリッツを使ったものも「チューハイ」と呼ぶ。ちなみに、「ハイボール」といえばウイスキーを連想してしまうが、元々の意味はアルコールを炭酸で割ったカクテルのこと。つまり、「焼酎ハイボール」とは焼酎でつくられたカクテルという意味だ。
「缶入りの商品として最初に登場したのは、1984年に宝酒造が発売した『タカラcanチューハイ』。焼酎ブームを背景に大ヒットしました」と山田氏。焼酎ブームを語るうえで忘れてならないのが、77年に宝酒造が発売した「純」だという。それまで焼酎といえば下町の大衆酒場で飲まれる安い酒で、消費も低迷していたが、宝酒造が起死回生を図って投入した「純」によってイメージは一新。若者たちの間で人気を博し、焼酎ブームが起こった。
これを後押ししたのが、「つぼ八」や「村さ来」といった居酒屋チェーンだ。シンボリックなメニューとして色とりどりの焼酎ハイボールを提供し、女性を中心に人気を獲得。女性の社会進出が加速した時代に、仕事帰りの女性が安心して入れる店として居酒屋チェーンが増え、それに伴い、焼酎ハイボールもポップでカジュアルな「チューハイ」として親しまれるようになった。「居酒屋の人気の味を家庭でも楽しめたら…」。そんな発想から生まれたのが「タカラcanチューハイ」だ。
「氷結®」の登場でユーザーの裾野は一気に拡大
「タカラcanチューハイ」のヒットに続けと、焼酎メーカーがこぞって缶チューハイを発売した80年代後半。メルシャン(現:キリンホールディングス傘下)が「ピーチツリーフィズ」を発売したことで缶チューハイの市場は新たな局面を迎える。
「それまでは柑橘類を中心にドライな味でしたが、『ピーチツリーフィズ』の登場によって、甘く華やかなジュース的マーケットが創出されました。アルコール度数も7~8%の従来品に比べて4%と軽い。以後、こうした商品が次々と登場しました」(山田氏)。
そうした中、日本経済はバブル崩壊でデフレの時代に突入。酒類業界では発泡酒や新ジャンルなど節税型商品が台頭してきた。チューハイも然り。サントリーが従来品よりも価格を抑えた「スーパーチューハイ」を発売。これを機にチューハイの平均価格帯は現在のような水準に下がった。
「90年代後半になると、ビールの消費量は低下の飽和。実際、96年をピークに頭打ちの状態です。人口動態をみても国内市場がシュリンクしていくのは明らか。そこで大手ビール会社はビール以外の酒類も扱う戦略に舵を取り、チューハイ市場に参入。焼酎メーカーを次々と吸収していきます。これによって、大手ビール会社がすべてチューハイを発売できる環境が整いました」(山田氏)。
ビール会社の市場参入により、市場は盛り上がりを見せる。そのきっかけとなったのが、2001年にキリンビールが発売した「キリン氷結®」だ。これまでにないみずみずしい果汁感とすっきりした飲み口で瞬く間にトップブランドに。
「商品のよさはもちろんですが、大手ビール会社だからこそ販売網が全国にあり、流通への影響力も大きい。『氷結®』の登場によって、ユーザーの裾野は一気に広がりました」(山田氏)。