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落日のGMSその6 名を捨てて実を取ったユニー

ユニーはかつて、中部地方の流通業界の盟主だった。だが、肥沃な環境が仇にとなって改革が遅れ、グループは解体にまで追い込まれた。現在は、ドン・キホーテ(東京都/大原孝治社長)を核とするパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(東京都/大原孝治社長兼CEO:以下、PPIH)の傘下に入ったユニー。ただ、一部では「ユニーは名を捨てて実をとった」という声も聞かれる。

PPIHは現在、ユニー店舗をドン・キホーテとユニーの「ダブルネーム店舗」に転換している

「よく言えば穏やか。悪く言えばおっとり」

 「(ユニーの本社があった)稲沢は、われわれとは時間の流れ方が違う」

 かつてユニー傘下だったコンビニエンスストア、サークルKサンクスとファミリーマート(東京都/澤田貴司社長)の統合を水面下で進めていた際の伊藤忠商事幹部の言葉だ。ユニーがPPIH の完全子会社になった遠因は、この言葉に集約されるといってもいいだろう。
 ユニーが地盤とするのは、名古屋を中心とした愛知県。県外にも店舗はあるがその数は少なく、愛知県を中心としたドミナント戦略によって、「愛知の盟主」としてチェーンストア業界で存在感を放ってきた。

 しかし、トヨタ自動車を筆頭とする有力メーカーによって築かれた、肥沃な名古屋エリアでドミナントを形成していたためか、「企業風土がよく言えば穏やか。悪く言えばおっとりしている」(某食品メーカーの担当者)との声も多かった。

 保守的で変革を嫌う名古屋の経済環境は、“名古屋モンロー主義”と呼ばれる。ユニーもこれに漏れず、地域完結型のチェーンストア運営を志向してきたきらいがある。つまり、恵まれた環境に置かれていたことで、危機感が希薄だったといっていい。サークルKサンクスという伸び盛りだったコンビニエンスストア業態を持ちながらも、これを伸ばしきれず、中核のGMS事業の自己変革も遅れてしまったのである。

 同じチェーンストア第1世代のGMS企業であっても、イオン(千葉県/岡田元也社長)はショッピングモールに活路を見出した。ユニーと同じように地場で強固なドミナントを形成したイズミは早々に自前の売場を減らしてテナントを多用する戦略に転換し、自社店舗の活性化を図った。変化への対応はユニーと対象的だ。

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ユニーが選択した“血を流さない変革”

「旧経営陣は最後に最良の判断をした」

 だがその一方で、GMS各社の業績不振が続くなか、「PPIHの傘下に入ったのは結果的に良かったのではないか」(流通大手OB)という声も少なくない。

 マイカルやダイエー(東京都/近澤靖英社長)がイオン傘下に入ったように経営が行き詰ったからではない。伊藤忠商事がファミリーマートとユニーの間に入ってユニー経営陣を説得してきたとはいえ、ユニーは自ら選択してファミリーマートと経営統合し、最終的にPPIHの傘下に入った。

 これはある意味で、“血を流さない変革”を成し遂げたとも言え、「ユニーの旧経営陣は最後に最良の決断をした」(同OB)との評価もあるほどだ。この決断が遅れ、経営状態がもっと悪化してからでは、店舗や人員の大胆な整理という憂き目にあったであろうことは想像に難くない。

ダブルネーム店舗の生鮮食品売場。いたるところでドンキ流の売場づくりがなされている


 現在、ユニーではGMS業態である「アピタ」「ピアゴ」の業態転換が着々と進んでいる。PPIHの大原孝治社長は、2023年度までにユニーの店舗約180店のうち100店を(ドンキとユニーの)「ダブルネーム店舗」に転換する方針を掲げている。

 昨年に業態転換したユニーの6店舗は、転換前に比べ売上高は約2倍、客数・粗利高は70%以上の伸びを示している(19年6月期第3四半期決算より)。ある食品スーパー企業の首脳は「(ダブルネーム店舗は)今風にアレンジされた本来のGMSの姿だ」と絶賛する。

 PPIHはユニーの完全子会社化にあたり、ドン・キホーテ出身の関口憲司氏を新社長に起用した。関口氏は、大型フォーマット「MEGAドン・キホーテ」を確立し、経営破綻してグループ入りした長崎屋を再建した実績を持つ。転換した店舗に「魂」を入れるのはこれからが本番になると見られている。

 ドン・キホーテの創業者である安田隆夫創業会長の「今後は(店舗閉鎖などで)GMSのオーバースペースの解消が進む。まさにわれわれのチャンスである」という言葉が思い起こされる。この先、ドン・キホーテの隆盛が続くかは未知数だが、今のところ安田創業会長の予言通りになっている。