震災後はいっそう、価格志向と提案力が求められる時代になる=ヤオコー 川野清巳 社長
──震災後の対応の中で、最もご苦労されたのは何でしたか。
川野 当社の展開エリアで震災自体の影響を受けたのは、ほんの幾日でした。震災後に「地域のライフライン」機能が求められた期間は1週間程度。その後に放射能の問題が出てきたため、さらに1週間かかりました。
個別に見れば、復旧に苦労した店舗はいくつかありました。浦安東野店は店舗そのものが被害を受けましたが、大半の店舗はモノが壊れた程度ですから、それほどかからずに直すことができました。
今回の震災で、企業全体として何よりも苦慮したのは、計画停電でした。地域によっては1日に2回、停電になる店舗もありました。そうなると、その狭間の3時間しか営業できないケースも出てきます。
実際に計画停電があった店舗は、全体の6割です。残りの4割も準備はしていましたが、結局は停電になりませんでした。
停電になれば営業はできませんが、お客さまは店舗が開いていないと不安になります。「ライフライン」を守りながら、停電にも対応しなくてはいけない。短い営業時間で、どうお客さまに対応するのか、悩みましたね。
──計画停電には、どのような発想で対応しましたか?
川野 本部としては、大きく分けて2つのことに取り組みました。ひとつは、店舗を開けること。もうひとつは商品を集めることです。
「個店主義」で運営するためにも、本部が基本的な指示を出さなくてはいけません。店舗で働いている従業員というのは、基本的に店舗を開けたくてしょうがないものなんです。はたして営業してよいのかと迷うことがないように、店長の裁量の範囲を本部が示す必要があります。
まず、計画停電の時間帯──午前中だけ、午後だけ、1日に2回──の3つのパターンに店舗を分類しました。全体としてどのような対応をし、かつパターン別にどうするかを決めるためです。夕方に停電になるグループはどのような対応をするのか。停電時間以降の営業を打ち切るなら、その間に何をするのか。具体的には、計画停電になるとお客さまが早い時間に来店しますから、午前中の売上が跳ね上がりました。当初1週間は、午前中の売上が通常の2倍になったほどです。そうすると、それに応じた売場をつくらなくてはいけないし、そのための従業員のシフトも必要になります。それをパターン化しました。
一方で、店舗でしか判断できないこともあります。たとえば商品なら、入荷状況に応じた点数制限を考えなくてはいけません。それはお客さまの状況によりますから、店舗でなければ判断できないことです。