第295回 マルエツ、忠実屋、カスミ……幻となった関東8社連合構想とは

樽谷 哲也 (ノンフィクションライター)
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評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)

「僕は経営が下手」

 まるで戦後の焼け野原に復員してから身ひとつで一大企業グループを興した半世紀を総括するように、中内㓛は「僕は経営が下手」と自嘲(じちょう)した。つづけて、「だから(経営からは)卒業したんや」と。

 「渥美さんは経営が上手なんや」と付言してみせたのも、本心からであったろうか。

 秀和が買い占めていた、いなげや株は、結局、渥美俊一が仲介したりすることなく、イオンが引き取る格好となっていく。イオンは、当時、ダイエー、イトーヨーカ堂に次ぐ大手流通企業グループであり、同様に、日本型スーパーストアやスーパーマーケット、コンビニエンスストアなどをチェーン展開して、さらには欧米でウォルマートなどが始めた新興フォーマットと伝わるスーパーセンターの研究に取り組むのも早かった。後年、イオンの岡田卓也から、会うたび、「先生、スーパーセンターって、どんなもんですか」と渥美俊一は繰り返し訊(たず)ねられたといったあと、「ねえ、スーパーセンターってわかる? 」と私に確かめようとする場面が幾度もあった。「岡田卓也さんがいっつも僕に訊(き)くんだよ」と。渥美俊一が明確にはわからぬ新フォーマットを、私などに理解できようはずはない。

 1980年代は、まだ“規模のダイエー、収益力のイトーヨーカ堂”と対比させた形容がジャーナリズムにもアカデミズムにもあった。神戸から広がっていったダイエーだが、これまで見てきたように、東京・赤羽、千葉・津田沼などで西友をはじめとする在京大手と出店、さらに低価格の競争を強気に展開してきた。「赤羽戦争」であり、「津田沼戦争」であった。「戦争」は松下電器産業(現・パナソニック)や花王、資生堂との間でも勃発(ぼっぱつ)し、長く負の尾を引いた。

 ダイエーは、新規出店だけでなく、ローカルの中堅チェーンの買収にも積極的であり、首都圏に限らず、全国展開を進めた。これまで見てきたように、秀和が大量に株式を支配することでけしかけた首都圏流通業再編構想にもダイエーはかかわっていた。

 いなげやの将来を大きく左右する売買収問題が

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記事執筆者

樽谷 哲也 / ノンフィクションライター

1967年、東京都生まれ。千葉商科大学卒業。雑誌編集者を経て、98年からフリーランスに。渥美俊一とJRC、流通企業と経営者、周辺の人物への取材は10年以上に及ぶ。「人間 渥美俊一」を渾身の筆で描く。

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