ユナイテッドアローズ重松理名誉会長が教える アパレルが閉塞感を打破する方法とは
日本がファッションの発信基地になれない根深い理由
―一方で、1980~90年代には、「東京コレクション」もスタートし、「DCブランド」を皮切りに、日本のファッションデザイナーも世界で活躍するようになりました。ところが、日本は、いまだに欧州や米国と並ぶファッションの発信拠点には、なり切れていないようです。何が原因だとお考えですか。
重松 古くて、新しい課題ですね。日本のブランドは、欧米市場ではなかなか評価されない。なぜなら、言わば「民族の壁」があるからです。洋服とは文字通り、“西洋の民族衣装”なんですね。ファッションも、カルチャーの一部だということです。日本を含めアジアはあくまでもマーケットであり、経済が発展しているところに進出していく。その途中にただ日本があったということでしょう。コロナ禍で痛感したのは、やはり欧州ラグジュアリーブランドの強さです。全く価値が毀損せず、逆にそちらに集中した。
―とすると、これからも欧米がファッションビジネスを支配し続けるのでしょうか。
重松 欧米と長く取引をしてきた経験から、日本から何かを生むということは極めて難しいことが分かりました。ただ、接客に対する考え方は差別化の要素になる。ありきたりの言葉になってしまいましたが、おもてなしの精神は日本にしかない。なぜなら、チップの制度がないからです。日本人にとってサービスとは、おもてなしの一つであり対価を望むものではないという文化なんです。おもてなしは商業として成り立たないという人もいますが、すべてはお客さんのためであり、代金を払ったのにありがとうと言ってもらえることは誇りであって、時代も国も越えられるという思いがあります。草の根運動のようですが、これが正攻法で、本気でやっていく人だけが残っていくのではないでしょうか。車や家電も、技術ももちろんですが、日本のそうした精神が海外にも響いた。それが日本の生きる道だと思っています。