日本リテイリングセンター 渥美俊一チーフコンサルタント 逝去
本日午前1時ころ、日本リテイリングセンターのチーフコンサルタントで、日本のチェーンストア業界の父ともいうべき巨人、渥美俊一さんが多臓器不全のため逝去した。享年83歳。なお、葬儀など今後の日程については未定。
渥美さんは、1926年(大正15)年三重県松阪市生れ。三重県旧制津中(三重一中)、官立第一高等学校文科を経て、1949年東京大学法学部入学。
1952年、東京大学卒業後、読売新聞社に入社。社会部記者として池袋暴力団追放キャンペーン、横浜支局では海事記者、経済事件、国際事件や中小企業経営を担当した。
1957年に本社転勤後は、週1回、「商店のページ」を主任記者として1人で担当。その仕事を通じて、倉本長治商業界主幹、新保民八商業界コンサルタント、喜多村実公開経営指導協会理事長らと交流を開始、薫陶を受けた。
1962年チェーンストア産業づくりの研究母体としてペガサスクラブを編成。1960年から当時年商1億円以上の商店経営者1300人と面談。イトーヨーカ堂の伊藤雅俊さん、岡田屋(現イオン)の岡田卓也さん、西川屋(現ユニー)の西川俊男さん、紅丸商事(現ヨークベニマル)の大高善兵衛さん、衣料問屋の大西衣料(現大西)の大西隆さんら、ペガサスクラブの設立時に全国から13人の経営者を集めた。のちにダイエーの中内功さんも参加することになる。
1963年、その事務局として、株式会社日本リテイリングセンターを創設。1969年に読売新聞社を退社し、チェーンストア理論の普及に全人生を傾注する。
ペガサスクラブの会員企業は増加の一途を辿り、2009年10月末、小売業だけで362社、約3万店。ペガサスクラブ会員企業の小売業の総売上高は、24兆8838億円であり、日本の全小売業の売上高の4分の1を占めるまでの影響力を持つにいたった。
渥美さんは、今年6月28日、東京慈恵会医科大学付属病院で11時間にわたる胸部大動脈瘤のカテーテル手術を実施。順調な回復が期待されたが、肺炎を併発し、集中治療室にて療養していた。
『チェーンストアエイジ』誌には、連載「ATSUMI SPEAKS」のほか、時宜に即した評論・解説を毎号のように寄稿していただきました。
ほんとうにありがとうございました。
先生のことは忘れません。 合掌。
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