国内の小売業界でも「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」を掲げて、最新のテクノロジーを活用したビジネスモデルの変革が徐々に進もうとしています。なかでも、「リテールDX」を旗印に、数多の先進的な事例を世に送り出している小売企業の一つが、トライアルホールディングス(福岡県)。今回から始まる新連載「リテールDX・新章」では、同グループ内でリテールDXを推進するRetail AIの永田洋幸CEOが、買物体験や店舗運営の手法を一変させる最新事例や施策をはじめ、DX実現のための組織づくり、世界のトレンドなどさまざまな切り口で解説していきます。記念すべき第1回で取り上げるのは、目・鼻・口など顔の特徴を元に個人の判別を行う顔認証システムについて。トライアルグループでは何をめざし、どう活用していこうとしているのか。詳しく解説してもらいます。
自社開発の技術があっても他企業と組むべき理由
顔認証システムは、スマートフォンのログオン認証や施設の入退場管理など幅広い分野で活用されている技術ですが、トライアルグループでは買物時の「決済」において活用を進めています。直近では世界でも高いレベルの顔認証技術を有する日本電気(NEC)様とパートナーシップを結びました。今回は、同社との協業に至る背景や、顔認証決済の導入における現状などを述べていきます。
まず前提として、トライアルグループにおける他社とのパートナーシップの考え方について触れておきます。
トライアルグループは「テクノロジーと人の経験値で世界のリアルコマースを変える」というビジョンを掲げており、その実現のためにさまざまな技術を開発してきました。決済機能付きのショッピングカート「Skip Cart®️」(旧名称:スマートショッピングカート)や店内の売場レイアウトの最適化などを行う「AIカメラ」がその代表格です。
「リアルコマースを変える」と言っても、さまざまな切り口があります。先に挙げたように新たな機器の開発によってお客さまの買物体験をよりスマートにするということもそうですし、従業員の負荷軽減や業務効率化などに向けた取り組みも入ります。より目線を広げると、メーカー様や卸業者様とのお取引時に発生する細かな業務の改善など、業界そのものの構造に関する視点も含まれます。
トライアルではこれらの課題に網羅的に取り組んでおり、自社で得られるデータや実行結果からも一定の成果は見えています。そのうえでさらに、「エコシステム」「オープンイノベーション」の考え方で、企業間で横連携し、一緒に流通業界のムダ・ムラ・ムリをなくす。そうしてDXの取り組みをさらに加速させるということを、福岡県宮若市を拠点に進めています。
この宮若での取り組みについては本連載の別の回で詳しくお話しするとして、今回強調しておきたいのは、本当に流通のあり方を変えたいのであれば、「トライアルだけで進めていく」のは不可能だということです。エコシステムを形成することで、小売業だけでなく、製造業や物流業、金融業などさまざまな産業が連携し、相互に刺激し合いながら、新たな価値を創出することができるのです。
エコシステムを形成するためには、まずすべてのステークホルダーが共通の目的を持ち、それに向けて協力することが必要です。競合他社が共同して取り組むこともありますが、目的を共有することで、より効果的な連携が可能となります。さらに、エコシステムでは内部だけでなく外部のアイデアや技術も取り入れるオープンイノベーションの考え方が重要です。スタートアップを含めた外部企業と連携し、 新たなアイデアや技術を取り込むことで、より多様な価値を創出できるからです。
流通業界全体にイノベーションを起こすという観点でみたときに、各分野のスペシャリストと連携することが最も近道である――。われわれはそういった考えに至ったのです。
顔認証決済は小型店舗との相性が良い
前置きが長くなりましたが、顔認証決済に関する具体的な話に入っていきます。
トライアルグループでは店舗をサイズに応じていくつかの「業態」として分類しているのですが、顔認証決済の実証実験は、2022年より展開している小型店「トライアルGO」と、福岡市内にあるトライアルグループの本社で行ってきました。
トライアルGOは、われわれがかねて出店を進めてきた、最新テクノロジーを全面導入した「スマートストア」のより一層の拡大と、これまでにない購買体験の可能性を追求するためにつくられた新たな店舗フォーマットです。ここを実証実験の場に選んだのは、小型店で生じやすい「少量・目的買い」という買物傾向に、顔認証という決済方法がフィットするのではないかという仮説がありました。
われわれの業態の中には、週末に遠方よりクルマで来店され数日分の商品をお買い上げになるお客さまが多い「メガセンター」や、日常使いでありながら食品・非食品双方において比較的多数の商品を揃える「スーパーセンター」などがあります。これらは店舗規模に伴い商品の購入点数も多い傾向にあることから、前述したSkip Cart®️との相性が非常に良いです。
Skip Cart®️はお客さまが手に取った(スキャナーでバーコードを読み取った)商品に応じてクーポンを表示したり、関連商品をレコメンドしたりする機能があるため複数商品の買物に適しています。また備え付けのタブレット上で決済まで完結できるため、購入点数が多いことで生じやすい「レジ待ち」というシーンをなくすことができるのが大きなポイントです。
一方、トライアルGOのような小型店にいらっしゃるお客さまは、少量のお買物かつあらかじめ欲しいものが決まっていることが多い傾向にあります。欲しいものをすぐに買い、すぐ店外に出て、すぐに利用する。コンビニに行くときの動機と近しいのかもしれません。そうなるとSkip Cart®️よりも、サッと決済してお買物を終了できる顔認証のようなシステムのほうが合っているのではと思ったのです。
実際にトライアルGOにおける顔認証決済の利用は好評の声が非常に多く、実証実験では、トライアル社員のみならず、取引先のメーカー各社、実験店舗が位置する宮若市の職員など総勢約250名に利用いただき、仮説の裏付けを行うことができました。
システムの進化に伴い、実証実験の場も拡大
こうした実験を経て、今年1月、NEC様との協業に至りました。同社が持つ世界No.1(注)の認証精度を有する顔認証技術を取り入れた新たな決済システムと入場管理システムの実証を、1月末から2月中旬にかけて実験の場を順次拡大しながらスタートしています(下図)。店舗だけではなく、宮若市内の複数の施設に実験機器を設置していく計画です。
実証施設 | 施設内容 | 顔認証の実証内容 |
トライアルGO脇田店 | 次世代型スマートストア | 決済 |
グロッサリア脇田店 | 産地産直レストラン | 決済 |
MUSUBU AI | AI開発センター | 入場管理 |
TRIAL IoT Lab | AIデバイス開発センター | 入場管理 |
T MAISON WAKITA | 従業員寮 | 入場管理 |
NEC様の顔認証技術は、決済以外にも社会生活全体において活用ができるような高精度なシステムです。現在はトライアルグループのリテールDX拠点である宮若市で専門チームが共同研究を進めており、引き続き新たな購買体験や効率的な施設運営につながる活用の検討を行いつつ、さまざまな利用可能性を探っていきたいと考えています。
(注) 米国国立標準技術研究所(NIST)による顔認証ベンチマークテストでこれまでにNo.1を複数回獲得
※NISTによる評価結果は米国政府による特定のシステム、製品、サービス、企業を推奨するものではありません。
https://jpn.nec.com/biometrics/face/history.html