第282回 60年代、資生堂がダイエーのPB石鹸を作ったしたたかな理由

樽谷 哲也 (ノンフィクションライター)
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評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)

「経営情報」が伝える歴史

 もともと、1962(昭和37)年にダイエーなどが参画してペガサスクラブが結成されたころというのは、チェーン店が全国で無手勝流同然の安売り攻勢で客の支持を広げ、他方でメーカーや大手卸商と敵対する先鋭的な時代であった。

 ペガサスクラブの運営母体である日本リテイリングセンター(JRC)発行の月刊機関誌「経営情報」が毎年12月号の巻末に年譜形式で掲載してきたその一年の主要な出来事、業界の動向について、バックナンバーを繰りながら追っていっても、淡々とした簡素な記述で綴(つづ)られ、想像力をかき立てるものがある。各地の商店会や商店街、さまざまな業界団体、さらに日本を代表するような大手ナショナルブランド(NB)メーカーまでが不当な乱売だの極端な廉売だのと怒りをぶちまけてきた歴史が伝わってくる。

 JRCの代々の優秀なスタッフの努力による賜物だが、こうした記録もまた、自ら「記録魔」と称した渥美俊一の銘記すべき業績である。長年にわたってこつこつと刻まれた事実に基づく記録は、通史であるのみにとどまらず、その営みがドキュメンタリーであり、衣鉢を継ぐ者たちにとって先人の足跡を知るテキストたりうる。

 そうしたNBメーカーや卸商、そしてチェーンストアの戦いの年譜に、日本を代表する食品メーカー、味の素の社名が登場しない大きな理由を、これまで記してきた道面(どうめん)豊信という中興の祖の存在によって端的に語ることができよう。

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記事執筆者

樽谷 哲也 / ノンフィクションライター

1967年、東京都生まれ。千葉商科大学卒業。雑誌編集者を経て、98年からフリーランスに。渥美俊一とJRC、流通企業と経営者、周辺の人物への取材は10年以上に及ぶ。「人間 渥美俊一」を渾身の筆で描く。

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