9月1日、キリンビールの布施孝之社長が死去した。享年61歳。
謹んで哀悼の意を表したい。合掌。
大阪支店長の2年目、「一番搾り」で勝負に出る
布施さんは1960年生まれ。1982年、早稲田大学商学部を卒業後、キリンビールに入社した。大学ゼミ(原田俊夫ゼミ)の同期には恩蔵直人早稲田大学商学学術院教授がいる。
座右の銘は、山岡鉄舟の「金も要らぬ、名誉も要らぬ、命も要らぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」。
ヤマト運輸創業者小倉昌男氏の『経営学』(1991年)を懐に、一貫して営業畑を歩み、現場主義に徹した。
2001年、首都圏地区本部東京支社営業推進部長、2005年、首都圏統括本部首都圏営業企画部長を歴任し、社内でキャリアを積み重ねた。
2008年、48歳の時に近畿圏統括本部大阪支社長として赴任し、過ごした2年間が忘れられない。
勇んで支社に足を踏み込むと、何やら空気が澱【よど】んでみえた。なぜなのかを自分なりに分析した。
年配のベテラン社員の構成比が多い。ポスト不足、人事は停滞し、常に不満が鬱積。その結果、他責文化がはびこっていた。
大阪支社のメーンの取引先は飲食店だった。
現状打開を図るために、あの手この手の施策を打ったものの、なかなか結果にはつながらなかった。むしろ、他社に攻め込まれている感覚ばかりが残った。
結局、1年目の2008年は、当初の気合いは空回りしてしまい、よい業績を残すことができなかった。年末に全社員を集め、支店長としてのミスリードを詫びた。
大阪支店長の2年目。2月に同社の基幹商品の1つである「一番搾り」のリニューアルがあった。
「ここだ!」と布施さんは、勝負に打って出る。
当面の営業活動を「『一番絞り』リニューアル案内業務」だけに絞り込んだのだ。
「あれもこれも」では結局焦点がぶれて伝わらない。だから、売るものを「あれ=『一番絞り』」の1つにフォーカスしたのだ。
「大阪中を笑顔にしよう」と社員を鼓舞し続け、営業に回る飲食店数目標を各人に決めてもらった。
営業活動初日――。営業マンの帰社を待っていると、深夜、最若手の社員が「123件回りました」と息を弾ませて戻ってきた。
その笑顔に、布施さんは、「うまくいくんじゃないか」と好感触を得た。
戦略は絞ることが大事
予感は的中した。
告知だけの営業活動は、4月上旬から成果が見え始めた。
若手のやる気に触発されたのか、斜に構えて「お手並み拝見」を決め込んでいたオールド社員たちが一転、動き始めたことも大きかった。
「一番絞り」はもちろん、飲食店からはワインや焼酎、ウイスキーのオーダーが続々と入った。一石二鳥ならぬ、三鳥にも四鳥にもなった。
布施さんは、この一件から、「戦略は絞ることが大事」と確信するようになった。逆に言えば、捨て去る勇気が必要ということ。「表に出るものはシンプルに、裏のロジックは緻密にすることの重要性を学んだ」という。
定年間際の社員に「まさかこの年齢になってこんなに素晴らしい仕事ができるとは夢にも思わなかった。これで定年後の残りの人生も誇りをもって生きることができる」と言われた時には、感激するだけじゃなく、マネジメントの重要性とやり甲斐を心底感じた。(続く)