私が本連載で繰り返し主張してきたコンセプトにCPFR(シーファー)がある。今から20年前に日本を席巻したコンセプトである。その頃私は10年の実務経験があったが、CPFRに出会ってカラダの震えがとまらなかったことを思い出す。それほど、CPFR というコンセプトは強力で隙が無い。今でも、私が改革の北極星(向かうべき方向)として、掲げているのはCPFRである。
多くの企業が誤解している本当のCPFR
私は、時々 「CPFR」でをググって、どのような解説をされているのか確認をしているのだが、何を書いてあるのか理解できる文章に出会ったことがない。また、ひどいものになると、CPFRは、デジタルモジュールのパッケージ名であるかの如く表記されているものもあり、手段と目的の逆転が起きているものが多い。
CPFR とは、Collaborative Planning Forecasting and Replenishment、つまり、工場、商社、アパレル、小売が「共同」で「MD計画」を立案し、「将来の予測」をリスク分担しながら行って「商品を供給」することだ。システムパッケージの名前などではない。
もはや日本語になった、SCM (Supply Chain Management) との違いは何か? 詳細は省くが、CPFRに到るまでには「9つの発展段階」があり、SCMはその9つのステップの最も初期的段階の段階を指す。だから、SCMは情報管理を行うだけで、現実に商品在庫リスクを分担したり、商品を生産から店頭に至るまで一気通貫して供給する、あるいは、予測が外れた場合のMD対応までも定義するのがCPFRというわけだ。
「なんだ、それならどこでもやろうとしていることではないか」と思うかもしれない。だが、CPFRを正しく導入している企業は日本に何社あるだろう。ググれば、某商社やリテーラーの導入事例が記載されているが、CPFRを最も効果的に制御するPLM (Product Lifecycle Management) パッケージ導入さえ、中国に抜かされているのが実態だ。その最大の理由は、CPFRの概念(バリューチェーン全体の最適化とリスク分担)を考えず、個別企業の利益を最大化させる「個別最適化」を目指して改革を行うという、極めて初歩的な「ボタンの掛け違い」をしているからだ。
くどいようだが、CPFRのCとPは、Collaborative Planning (工場から商社、アパレル、リテーラーが共同でMD計画を立てること)である。その中の、商社だけ、あるいは、リテーラーだけがCPFRを導入することなどありえない。
ところが、実態は違う。
リスクを押し付けるため、CPFRと真逆の行動を取る日本のアパレル達
CPFRに至るステップ7とステップ8として、「予測が外れた場合の対応定義を行う」という項目がある。ところが実態として、アパレル企業は、共同どころか「いざとなったら損失ヘッジができるから、商社を通しておけ」と真逆のことを言っている。
一方、商社は商社で、リテーラーやアパレルビジネスの実態とそのKPI設計について恐ろしいほど無知だ。
売れない時代にB2Bの売上をあげるためには、「成功している数少ない企業のOEMをやる」か、「筋の良いアパレルに資金、人材、商品、デジタル」の4つを複合的に提供し、インキュベートして「勝ち組」に組み込ませるかの二択しかない。
当然ながら、前者は、現時点では「ファーストリテイリング」か「良品計画」、あえていうなら「ゴールドウイン」や「ワークマン」など、アスレジャーブームにのって成長している企業ぐらいしか思いつかない。
しかし、ファーストリテイリングと良品計画は三菱商事が、ゴールドウインとワークマンは三井物産が、しっかりと「おいしいところ」を握っている。この領域に参入しようとすれば、血みどろの戦い、つまりレッドオーシャンと呼ばれるコスト競争に陥ることはMBAの教科書を読めばすぐに分かる。
だが、伊藤忠商事のように効果的にM&A(合併・買収)と随伴トレードを絡め事業収益を維持しているケースを除き、ほとんどは後者に参入せず、未だに青い鳥を求めてさまよって業績を悪化させている。残念ながら、あれだけ日本を熱狂させたCPFRという言葉を誰もが忘れてしまっているのだ。
CPFRとは、「単にナショナルブランドのMD計画を共同で行い、売れる商品はデータ連係して自動補充させる」ことだという単純な誤解が蔓延している。CPFR開発に大きく尽力し、米国流通業界において最高峰のコンサルティングファームと認知されているカート・サーモンの日本法人でトップをやっていた時代、本件についての討議を米国と幾度もやった経験から言わせてもらえば、CPFRのコンセプトの本質は「全体最適」であり、「リスクと利益の平等配分」である。
また、コンビニやGMSなどの日用品であればサプライ方向の最適化、アパレルのようなボラティリティ(売れる商品の不確実性)が高い商品であれば、デマンド方向の最適化というように、CPFRは柔軟性を持ったものである。また、ユニクロと東レによるヒートテックの共同開発と同様、日本の熱中症対策として、アパレルと素材メーカーが機能要件を共同開発しながら「マイナス5度」を目標に、帽子、衣料などの開発および、まがい物排除のための認証マーク戦略も立派なCPFRである。
日本でCPFRが進まないのは、英語力と本質を掴む力と努力が足りないから
日本人がCPFRのみならず、オムニチャネルなど米国発のさまざまな戦略コンセプトを誤解している根本理由は、形式論ばかりが横行する流通業界の「米国礼賛主義」にある。さらに深掘りすると、日本人の語学力と画一的なフレームワークにはめようと勝手な解釈をすることに行き着く。
私がこの事実に至ったのは、カート・サーモンのパートナー(最高経営責任者)として、グローバルネットワークに参加し、米国の猛者達と連日のようにオムニチャネル、CPFR、ユニクロの米国人の見え方からAmazonのアパレル戦略まで、徹底して討議してきた体験による。
何しろ多くの日本人はすぐに「I see」といって、議論を終わらそうとする。そして、彼らの話を難解な日本語に翻訳してそれを鵜呑みし、画一的なモデルを作り上げるのだ。
一方、私はそうではない。私は理解できるまで徹底して、愚直に質問を投げかけた。いわゆる「質問力」の差で本質を掴んできたのだ。その経験から言えることは、米国のコンセプトはもっと柔軟で本質的なものであるということだ。画一的なものでもなければ、デジタルベンダーのパッケージモジュールでもないのだ。
例えば、オムニチャネルという言葉が流行りだしたとき、私は、メイシーズ、Amazon.comの中核にいた人間と直接、議論をしたことがある。彼らは、私が繰り返す質問に、「Taku (私の名前)、オムニチャネルを一言でいえば、いつでも (when)、どこでも (where)、どのようにでも (How) ものが買える状態をつくることだ。それ以上でもそれ以下でもない」という言葉を引き出した。こうした骨太で、輪郭がしっかりしたコンセプトを掴めば、あとは、ローカルで応用すればよい、ということである。
私は、その後、契約前のアパレル企業にゆき、その企業の「消費者からみた価値」から、強みとデジタル化領域を分析し、「チャネルの垣根を取り払い、いつでも、どこでも、どの方法でも消費者が買える状況をつくりましょう」と提案した。その企業に特化したやりかたで導入されたオムニチャネル戦略はとてもよいものであったと自負している。
一方、米国で導入されているからといって、そもそも来店客もいないアパレル衣料品フロアで、クリックアンドコレクトを導入するという理解しがたいケースもみて驚いたこともある。聞けば、米国の指示だという。その担当の日本人は、TOEICの点数は私より遙かに高いのだが、本質を浮き彫りにする力が欠けていた。高い英語力を米国の指示を引き出すことにしか使っていなかったのだ。
少々余談とはなるが、いかに、TOEICなどで英語力を測ることが無意味なことであるかがわかるだろう。コンサルティング能力が低い人は、言語変換だけできても何も変わらない。よく企業の中に、海外担当者としてTOEICによる選抜をしているケースを見ているが、私の商社マン時代の経験から言っても、「そんなことはキャンノットや!!!」と、外国人に対しても臆せず日本語英語で怒鳴りつけている強者は絶対に納期遅れなどしなかった。ビジネスに国境はないのである。
プロフィール
河合 拓(事業再生コンサルタント/ターンアラウンドマネージャー)