メニュー

追悼 平和堂 夏原平和会長 生前語った「流通業に対する思い」

2021年12月20日、平和堂(滋賀県)の夏原平和(なつはら・ひらかず)代表取締役会長執行役員が肺がんのため死去した。享年77歳。夏原会長は、1944年、滋賀県生まれ。68年、同志社大学法学部卒業。同年、平和堂入社後すぐさま、日本リテイリングセンターへ出向。70年、取締役就任。89年、代表取締役社長就任。2017年、代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)就任。20年、代表取締役会長執行役員に就任し現在に至っていた。なお、遺族の意向により、通夜ならびに葬儀・告別式は、近親者にて執り行われる予定。また、後日「お別れの会」を執り行う。
ここでは、夏原さんを偲んで、新入社員に向けた『チェーンストア・エイジ』誌2010年4月1日号のインタビュー記事を再掲載する。合掌。

石の上にも3年。3年間は一生懸命やりなさい

――同志社大学法学部の出身です。卒業後に他の道を歩む選択肢もあったのですか?

夏原 いえ、最初から家業を継いで商売人になろうと思っていました。平和堂の設立は昭和32年(1957年)ですので、私が中学1年生の頃から商売を間近で見て育ちました。お客さまとのやりとり、商品の見せ方によって売れ方が違ってくること、魚の捌き方などを見ておもしろいなと感じていました。時には配達など、私が手伝うこともありました。

平和堂は、小さなカバンを売る店「靴とカバンの店・平和堂」からスタートして、寝具の店、またセルフ方式を取り入れた衣料品店など、徐々に業容を変化、拡大させ、それらのノウハウを組み合わせて総合店に行き着きました。

私が大学を卒業したのは、滋賀県草津市に2号店が出た時です。会社も創業時からは、ずいぶんと大きくなっていました。ただ、大学でそれほど勉強したわけではなく、商売の自信はありませんでした。入社が決まると、商売を継ぐことがだんだんと怖くなってきました。

――その頃は、ずいぶんと弱気だったのですね。それで、そのまま就職してしまったのですか?

夏原 いいえ、違います。不安から解放されたいがために、大学時代にしかできないことは何かと考えました。先輩に相談すると「それなら海外へ行ってみたらどうか」と提案されました。海外旅行が自由化されてまだ数年しか経っておらず、外国へ行くことはまだ珍しかった時代です。英語は話せませんし、海外に知人もいない。しかし先輩から「行けば何とかなる」と言われ、自分も親と離れて行動することで自信をつけたいと考えたのです。 

まず、ソ連経由でフィンランドの首都、ヘルシンキへ行きました。これは当時の典型的なコースで、そこから1人でヒッチハイクの旅が始まりました。スウェーデンのストックホルム、デンマークのコペンハーゲン、それから南下し、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、さらにフランス、スイス、イギリスと各国を回りました。夏休みを利用しての渡航で、帰りはフィリピンのマニラ、タイ、香港を経由し船で神戸に帰ってきました。

――海外旅行が一般的でない時代であることを考えると、大冒険ですね。

夏原 本当です。病気をしない保証もなく、電話は通話料金が高くて使えない。本来なら水杯(みずさかずき)を交わさなければならないような旅です(笑)。だから母親は反対したのですが、父・故夏原平次郎は許してくれました。いま振り返ると、父の決断は私以上の大きなものだったと感謝しかありません。

しかし、その経験があったおかげで会社に入ってからは思い切り仕事に打ち込むことができました。自分の好きなことをすべてやったという満足感がありましたから。

今現在、当社が内定を出した学生には、「入社前には海外へ行ったり、資格を取ったりと、やりたいことをやっておきなさい」と話しています。何かをやり残した状態で仕事を始めても「自分が働く場所はこの会社でよかったのか」などと迷いが出てくるからです。

 「石の上にも3年」と言われます。どんな仕事も3年は迷うことなく一生懸命に取り組んでほしい。その間、苦労があればあるほど将来には大きな成果が待っていると思います。

困難な状況でも必死にやれば何とかなる

――組織を動かすのに必要なリーダーシップはどのように学んだのですか?

夏原 その時々の仕事の中で、徐々に学んでいきました。実は、子供のころはとても引っ込み思案でした。大学生になっても同じような性格のままでした。それが海外旅行を経験したことで変化したのです。

さらに入社し、すぐに渥美俊一先生が主宰する日本リテイリングセンター(東京都)へ出向したことが大きかったように思います。社長だった父が「1年で3年間分の流通の勉強ができる」と聞いて、お願いしたようです。

――日本リテイリングセンターではどんな日々を過ごしましたか。

夏原 雑用を含めた全般をお手伝いしていました。セミナーの運営や講師の調整、資料整理などいろいろとやりました。当時、渥美先生は40代と若く、よく怒られ怖かったことを覚えています(笑)。私を含めて同期入社は5人いましたが、私以外は全員やめてしまった。

――夏原さんはなぜやめなかったのですか。

夏原 正直な話、何度もやめたいと思いました。けれども、ここでやめたら今後、平和堂の従業員が日本リテイリングセンターのセミナーを受けに来られないだろうと考えました。1年間と期間が決まっていたことも励みになり、踏みとどまりました。

しかし、人間万事塞翁が馬でいいこともありました。同期が全員やめていったため、渥美先生のすべてのセミナーを聴講でき、大変な勉強になったのです。セミナーの会場係の時には、500人ほどの受講者を前に司会をすることもありました。人前で話しても顔が赤くならなくなりました。私にとっては海外旅行と日本リテイリングセンターでの経験はとても大きかったですね。

――さて、現在は経営者の立場ですが、これまでで最大のピンチは何ですか。

夏原 バブル経済が崩壊した後です。まだ社長に就任してから数年しか経たない頃で、どうしたらいいかも分からずとてもつらかったですね。それまで売上が伸びることを前提に事業展開していましたが、その常識が通用しない事態が突然訪れました。経常利益が84億円とこれまでで最高益を更新したと喜んでいたら、その3年後には42億円と、あっという間にピーク時の半分になってしまいました。本当に焦りました。

故夏原平次郎会長(当時)ともずいぶん議論し、意見の食い違いから、よく言い争いになりました。その時は、何度も会社をやめようと思いました(笑)。

しかし多くの社員のことを考えるととてもそんなことはできないと反省し、もう一度、仕事に向き合いました。その結果、困難な状況でも一生懸命にやれば何とかなるものだと自信が持てました。現在、リーマン・ショックの影響で景気が低迷していますが、その時の経験は相当活きています、慌てることなく早めに対策を打ち、売上や利益の落ち込みを最小限に抑えています。

まず思わなあきまへんな

――最も影響を受けた人物は誰ですか。

夏原 京セラの創業者、稲盛和夫さんです。25年以上のおつきあいがあり、稲盛さんが主宰されている「盛和塾」に参加する一方、滋賀県での代表世話人を務めています。稲盛さんからは、とくに会社経営について教えてもらっています。鹿児島大学工学部出身であり、ご自身の成功体験を非常に論理的に説明され、とても勉強になります。

――稲盛さんは、どのようなことを話すのですか。

夏原 一番、教えられたのは「“思い”の重要さ」です。どんなことでも強く思っていたらその通りになるというものです。かつて稲盛さんは、松下幸之助さんの講演会を聴講し、そのことを知ったのだそうです。

松下さんはその講演会で、会社が順調な時も将来の有事に備えた経営の必要性を説かれました。水を安定的に供給できるダムから着想した、いわゆる「ダム式経営」です。

質問の時間になり、ある人が「誰もが余裕のある『ダム式経営』をしたいと考えている。しかし、それができないから困っている。具体的に教えてもらわなければ困る」と批判的に意見しました。それに対し松下さんは「まず思わなあきまへんな」と答えたそうです。普通であれば、失笑を買うような回答に聞こえます。しかし、稲盛さんは、その何気ない一言に感激して、思うことの重要さに開眼されたそうです。

――興味深い話ですね。ところでご自身が実践されている情報収集法についてお教えください。

夏原 日頃からニュースを見たり、読んだりしています。とくに流通業界については各社の取り組み、新しい話題についてチェックしています。興味を持ったものは、専門書や専門誌を買い求め、さらに詳しく調べるようにしています。情報収集をするには問題意識を持つことが必要です。つまりアンテナを立てておくのです。情報過多の時代にあっては、とくにその重要性は増しています。

――意識し、アンテナを立てていると日常生活の風景も違ってきますか。

夏原 よく電車に乗るのですが、自然と乗客の服装に目がいきます。少し前ならほとんどの人がコートを着ていましたが、暖かくなると8割は着なくなります。そんな時、「今、冬物の処分セールをやっても売れないな」といったように想像がつきます。普段の生活でも意識していると、仕事に関する情報が入ってくるものです。つまりアンテナを立てると行動も変化してくるため、最終的には、思えば実現するという「“思い”の重要さ」にも通じるというわけです。

人間が存在する限り、流通業はなくならない

――日々、実行されている健康維持法はありますか。

夏原 歩くようにしています。寒い時期は控えますが、暖かくなると1日1万歩を目安に運動をしています。そうすることで健康診断の数値も改善してきています。あとはタバコを吸わないようにするとか常識的な健康法です。新店が続き、仕事が多くなれば意識して寝ようとか、そういったことでいいのではないでしょうか。しかし皆さんも同じでしょうが、若い頃はとくに考えていませんでしたね。50歳を過ぎてから、気をつけるようになりました。

――平和堂を志望する最近の学生を見て、お感じになられることはありますか。

夏原 おかげさまで当社の企業規模は大きくなりました。そのためか安定志向の学生が増えているように思います。一方、羽目を外した行動を取るパワーを持った人は少なく、全体的にまじめな方が多いですね。皆さん、裕福な環境で大切に育てられてきているのでしょう。一般的に、現代の若者は何か困難があると気持ちが揺らぎ、精神的に不安定になる可能性が高いと聞きます。それに対し、いかに教育していくかは会社として難しい問題です。甘やかせてばかりというのもいけないと思います。

流通業は、私が最初に向き合った頃とは大きく様変わりしています。昔のように毎年、会社が成長するとか、商品を置いておきさえすればどんどんと売れるとかいった時代ではないのが現状です。その分、仕事の面白さが分かりにくい時代でもあります。

しかし流通業は、人間が存在する限りなくなりません。その時代が求める、または合った商品を売ることができれば必ず存在が許されます。求められるのは安さだけでなく、品質、おいしさなどさまざま。自分たちがどんなお客さまに、どのようなお役立ち、貢献をするのかを考え、一生懸命に仕事に取り組めばスペシャリストになれます。確かに厳しい時代ではありますが、見方を変えればチャンスです。ものごとはすべて受け取り方で見え方も違ってくるのだと思います。

――それにしても夏原社長はいつも温和です。

夏原 いや、経済状況が低迷し事業にも影響していますから、心の中は大変です(笑)。しかし、そのような状況にあっても穏やかな表情でいることが、次を好転させる元だと信じているので心がけています。これもいわば考え方ひとつなのです。流通業に入ってこられた若い方々は、仕事をしていて怒られることもあるでしょう。またこの仕事が自分に向いているかどうかなど、迷うこともあるかも知れません。しかし、どんな時でも「これは自分を鍛えるために起こっているのだ」と考えてほしいものです。そう信じ、仕事が好きになれば次のステージが見えてくるはずです。

(2010年3月5日取材)