お盆前、中内功さんを取材する、夢の中
私「中内さんは、昭和32年に大阪・千林に『主婦の店ダイエー』1号店を開業しました。確かその頃のこと…昭和30年代をmore(もっと)の時代とおっしゃっていましたよね」
中内功さん「そやね、言うとった。あの時代は、品物を置いておきさえすれば飛ぶように売れたから。ちょうど、東日本大震災後の“買いだめ”“買占め”のような状態がずっと日常やった。ずいぶん時間がたってしまったなあ」
私「40年代はbetter(より良いもの)、50年代はdifferent(他人とは異なったもの)の時代と的確に表現されていました」
中内さん「そうやねえ。それぞれに難しい時代やったけれど、お客さんの消費意欲は旺盛やったからねえ。それはそれでいい時代やった。昭和47年には三越の売上を抜いて日本最大の小売業になれたしねえ。けれども昭和も60年代に入ると、ずいぶん、お客さんも変わってしまった」
私「それがless(より少なく)の時代だと」
中内さん「ダイエーの舵取りが難しくなってきたのはあの頃からやね。うちも『生活総合産業』ということでホテルやレジャー、文化、情報産業といろいろやってみたけど、何をやってもお客さんに響かんようになって…。『良いものをどんどん安く』一辺倒の手法がよう通用せんようになった」
私「2000年(平成8年)、昭和75年10月13日、中内さんが代表権を返上されてしまいましたんで、そのあとは、お話をうかがえませんでしたが、昭和70年代はどんな時代だったのでしょうか?」
中内さん「pass(通り過ぎる)の時代やね。オーバーストアでディスティネーション(目的来店性)のない店舗にお客さんは立ち寄らなくなった。商品も市場にあふれかえっており、お客さんは何にも見向きせんようになってしまった。僕の発明した総合スーパー(GMS)は試練の時代やったね」
私「中内さん、昭和80年代ももう半ばですよ。昭和86年(=平成11年)のいまはどんな時代ですか?」
中内さん「no thing(何もない)の時代かもしれないね。国内競争も国際競争もこなさなければいけない。お客さんもずいぶん変わったし、ますます大変やなあ。東日本大震災の影響で、原発問題もあったりで厳しいと思うよ。でも、負けちゃあかんよ。僕が復員した昭和20年代前半は、それこそ国破れて山河ありや。焦土のほかには、何にもなかった。けれども、そこから見事に復興を遂げ、世界第二位の経済大国になったんだから。こんな時代やからこそ、流通業界には大きなイノベーションが起こると思うんよ。後輩たちにはほんとに頑張ってほしいと思うなあ」
※私が見た夢物語ですので、変な関西弁を使っています。当然のことながらフィクションです。
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