第2回 毎日現場に口出しし、権限委譲できなかった社長の末路と教訓
オーナー自らがステージの変化を察知しなければならない
様々な捉え方ができるのだろうが、私はこの事例から次のような教訓を導くことができる。
こうすればよかった①
ステージの変化を察知し、マネジメント手法を変える
社長は、店の現状を正確には把握できていなかった可能性が高い。1軒目をオープンさせ、2軒目を開店させた時期にコック長をヘッドハントした。ここからは、コック長に大幅に権限を委譲し、少々のミスがあったとしても受け入れる度量が必要だった。そこまで想定したうえで招くべきなのだが、社長は「オーナー兼店長兼コック長兼料理人」をしていた。
これではスムーズに進まない。店の成長のステージが変わったのに、前のステージのままの意識や考え方なのだ。コック長や料理人にも何らかの問題があったのかもしれないが、ステージの変化を察知し、マネジメントの手法のギアを変えなければ、気がつかないうちに部下を潰してしまうものなのだ。
こうすればよかった②
向かい合うのは自分
向かい合うのは、コック長や料理人ではなく、自分自身だった。たとえば、すべてにおいて把握していないと気がすまない性格やそれを「経営者として当たり前のリクエスト」と正当化するごう慢さである。
通常、飲食店で1軒目の経営を成功させ、2軒目を開店するのは相当に難しい。経営者としての力量はたぐいまれなものがあったのだから、コック長と同じ土俵で争うべきではなかった。自信をもち、広い心で俯瞰して店を見て、「許すべきところは大胆にし、指摘するべき部分はさりげなく」、という器量が求められていた。ところが、失踪事件から3年経っても、雇われ人であるコック長や料理人に「許せない」「あてつけ」「ふざけるな」と言っていた。この時点で少なくとも、経営者としての器ではなかったかもしれない。あふれんばかりの才能があっただけに、惜しいと思う。
今回は経営者の話であるが、実は企業の管理職にも、この社長と似た人は多い。私は、思い当たる人が少なくない。
神南文弥 (じんなん ぶんや)
1970年、神奈川県川崎市生まれ。都内の信用金庫で20年近く勤務。支店の副支店長や本部の課長などを歴任。会社員としての将来に見切りをつけ、退職後、都内の税理士事務所に職員として勤務。現在、税理士になるべく猛勉強中。信用金庫在籍中に知り得た様々な会社の人事・労務の問題点を整理し、書籍などにすることを希望している。