一時閑散も…90年代「裏原ブーム」の震源地は今どうなっている?
大手ディベロッパーとも「共存共栄」で
――原宿以外の、渋谷も含めたエリアの変遷についてはどう感じていますか。
ファイヤー通りを中心とする神南エリアは、一時期に比べてセレクトショップも少なくなったが、公園が整備されたことでにぎわいが増え、「ミヤシタパーク」の「渋谷横丁」などは外国人観光客に人気のようだ。また「渋谷パルコ」にも客足が戻っており、周辺ショップを周遊する姿も見られる。
明治通り沿いもかつては「トランスコンチネンツ」などさまざまなブランドショップが並んでいたが、一時に比べて商売が難しいイメージがある。ライトオンの旗艦店「ライトオン ハラジュク トーキョー」などもコロナ禍を受けて閉店を余儀なくされた(2021年8月)。
一方で、渋谷駅周辺は大規模開発が進み、街の表情が大きく様変わりした。とくに東急不動産が「広域渋谷圏」を打ち出し、神宮前交差点に「ハラカド」「オモカド」、さらに桜丘エリアには「Shibuya Sakura Stage」などの新たな拠点を次々にオープンしたことで、人びとが原宿エリアと渋谷エリアを回遊する動きが少しずつ生まれているように感じる。
――対照的に、この裏原宿エリアは街の表情があまり変わらない印象です。
このエリアは渋谷区の文教地区に指定されており、地区計画によって用途制限や高さ制限が設けられている。また、通りが複雑に入り組んでいて、そもそも大規模開発には不向きだ。
そういった地域特性もあって、半径1キロ圏内にストリートカルチャーもあればラグジュアリーブランドもある、世界でも類を見ない不思議なファッションエリアが形成されてきた。店舗が入れ替わっても街の表情が変わらないのはそのためだと思う。
そんな独自のいいところは残しつつも、時代の流れとともに変化し続けているのが裏原宿というエリアだ。大手ディベロッパーの開発の勢いに置いていかれないよう、むしろ連携しながら共存共栄で発展していきたい。