小岩井乳業には、並々ならぬ思い入れがあった。だから、宮仕えの終着駅として骨を埋めるつもりでいた。しかし布施さんには次のミッションが下された。キリンビール社長のポジションだ。 2014年3月にキリンビールマーケティング社長として呼び戻されると、翌2015年1月、キリンビールの社長に就任した。
その頃のキリンビールの状況は?
キリンビールは、1970年代から80年代にかけ14年間連続で60%超のシェアを維持するなど、長くビール業界のリーディングカンパニーの座に君臨してきた。だが、1987年にアサヒビールがメガヒットロングセラーとなる「スーパードライ」を投入すると、状況は一変した。ぐんぐんとシェアを伸ばしていき、2001年にアサヒビールが奪首。以後、業界2位がキリンビールの定席となった。キリンビールは、2009年にアサヒビールを抜きトップシェアを一時獲得したものの、それも刹那のこと。翌年に再度抜き返されると何をやってもうまくいかなくなった。アサヒビールの背中は遠のくばかりだった。
布施さんは、2014年7月11日付の「日本経済新聞」紙の記事を常に鞄の中に潜ませていた。「キリン後退苦い夏 アサヒの背中が遠のく」と題された記事だ。それは、布施さんにとっての薪(まき)であり、肝(きも)であった。
キリンビールの業績は、2014年減収増益、2015年増収減益、2016年減収増益、2017年減収総益となかなか安定しない。そうなると社内には、批評家や評論家ばかりがはびこるようになり、他責文化が企業風土として定着してしまう。そんな状況にピリオドを打つべく、2018年からスタートしたのが布施改革だ。
布施改革に先駆けて全国行脚
2017年4月からは、改革に先駆けて全社を挙げて現状認識を統一すべく全国行脚した。事務所に赴き、対話集会を開き、その後には缶ビールと乾き物で2WAYコミュニケーションを促進し、何か事があれば、直接メールをくれるようにお願いして回った。「キリンビールは今、長期的“負け戦”の中にいる。生産部門には過去20年間で3000人以上の減員を実施し。大きな痛みを強いてきた。変化の激しい時代は何が起こるかわからないから、赤字転落も起こりうる」と全社員で共有した。
そしてそこから脱出するためには、お客を一番に考える組織づくりが重要であるとし、すべての判断基準をお客にした。変化の激しさを実感している現場を重視し本社は、そのサポートに徹する体制構築を図った。上司や競合を見て戦略を決めるのではなく、お客の期待や本音をダイレクトに汲み取り、それに応えることを一義とした。当たり前のことであり、企業理念にも記されていることだ。しかし、現実問題として機能はしていない。だから、「理念を額縁から出そう」と訴えた。
もうひとつは「布施塾」の開講だ。企業はゴーイングコンサーン(Going Concern)であり、自分たちの世代さえよければいいというのはいけない。だからヒトを残すべきと考えたのだ。2018年からスタートした「布施塾」は、毎春・秋、各20人ずつ、課題図書を通じて論じ合う。セブン–イレブン・ジャパンの古屋一樹会長(当時)やネスレ日本の高岡浩三社長(当時)など錚々たる面々を特別講師として招聘した。
さらに、積極的にヘッドハンティングも実施しプロパー主体の社内に新しい風を吹き込んだ。(続く)