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2度の危機を乗り越えた優良SMエコス 創業者・平富郎会長を支えた「3人の先生」

エコス(東京都/平邦雄社長)は、1957年(昭和32年)に同社創業者の平富郎会長が青果物の行商を始めるところからスタートした優良食品スーパー(SM)企業だ。

「昔は長男が家業を継ぐのは当たり前で、私も若いころから八百屋を手伝っていました。父親はまじめな正直者のお人好し、母親は祖父譲りの働き者でした。そんな父親が軍隊で身体を壊して復員。私が16歳のころ、膨らんだ借金で家業の八百屋が行き詰まりました。夜学にも行けなくなり、やむなく3年間、リヤカーで引き売りをして父親の借金を払いました。私が20歳になった時に社名を『八百元』から『たいらや』に変更しました」(平氏)。

2度の危機を乗り越えたエコス

 1959年に12坪の青果店「たいらや」を開業し、196512月に有限会社たいらや商店を設立して法人化。1977年、多摩ニュータウンにSM1号店の愛宕店を出店した。以後、着実に出店を重ねるとともに、M&A(合併・買収)を繰り返し、2度の商号変更を行い、1999年のハイマート(茨城県)との合併を機に商号をエコスとした。

 この間、会社存亡の危機は2度あった。

 1度めは、青果テナントとして入っていたSM企業から、「1年以内に出て行ってくれ」と言われた時だ。長い付き合いのあるSMで共に栄えてきた仲だった。ある時、そのSMの社長から、「生鮮食品売場を直営化しないと事業拡大は望めないとコンサルタントに言われた。本当か?」と聞かれた。正直に「本当です」と答えると、数日後に「直営にすることにした。1年以内に出ていってくれ」といきなり最後通告を突きつけられた。当時の年商は7億円ほどあったが、そのうちの5億円は、そのSMでの売上だった。平氏は、受け身で他律的であるテナントをやっていても自社の未来像が描けないと考え、直営でのSM経営を決め、絶体絶命の危機を何とか乗り切った。

 2度めは、1992年3月に味好屋(みよしや/埼玉県)と合併した時だ。「1991年の年末までは、バブル経済で日本中にお金が有り余っていました。本業の商売をするよりも株を買ったほうがいいと多くの企業が考えていた時期です。ところが1992年に入ったとたんに状況が一変しました。3月の合併時には日本からお金がビタ一文なくなってしまったのです。合併前までは、味好屋の持つ30億円の借金は『担保を売ればいい』と、たいしたことはないと考えていましたが、バブル経済の崩壊で担保の価値がゼロになり、借金だけが重く圧し掛かりました。そうするとどこの銀行もお金を貸してくれません。これには本当に参りました。八百屋の青果市場は貸してくれない、それまで付き合いがあった地方銀行も貸してくれない、都市銀行も当然貸してはくれませんでした。その時は枝ぶりのいい木を探し回っていたものです(笑)」(平氏)。

 それでも毎月出していた損益計算書を見て、まず商工組合中央金庫、続いて埼玉銀行が融資してくれることになり、2度目の危機を切り抜けた。味好屋との合併を無事に終え成功したと見るや、それまでそっぽを向いていた都市銀行が「融資する」と申し出でてきた。「金融機関との付き合い方を心底学ばされた出来事でした」と平氏は振り返っている。

大きく影響を受けた「3人の先生」

エコス 平富郎会長(2010年撮影)

 以前のインタビューで平氏は、次のように語っていた。

 「私に心の拠り所はありませんでした。自分にはなかったから、せめて若い仲間の拠り所になってあげようと考えています。人間というのは、強がっているようで結局は弱い生き物です。私も強くはありません。経営者というのは気が弱いものです。だから企業のナンバー2には、『イケイケドンドン』の気が強い人間が必要なのです。それを『大丈夫かな』と石橋を叩いて渡る。経営者の気が大きかったら、会社がいくらあってもみんな潰れてしまいます。とくに創業経営者は気が小さくて、ケチだからこそ会社を興せたし、維持もできているのです」。

 そんな平氏には、恩師と呼べる先達がいる。自らの「モノの見方や考え方」を確立するにあたって大きく影響を受けたのは「3人の先生」だという。

 1人目は、故伊東壮氏。国立山梨大学元学長、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員などを務めた人物だ。伊東氏からは、“寛容と忍耐”を学んだという。高校3年の担任だった伊東氏が通信簿に記した。そして、「君はよく働くのだから、さらに寛容と忍耐を身につけなさい。そうすれば成功する」と言ってくれた。「寛容とは許すこと。忍耐とは我慢すること――。この言葉が私の10代から今日に至るまでの『モノの見方や考え方』の中心になっている」(平氏)。

 2人目は、故川崎進一氏。ジャスコの元監査役、東洋大学名誉教授や日本リテイリングセンター・マネジメント・コンサルタントなども務めた。20代の後半から30代に大きく影響を受け、“論理なき行動は暴走である”ことを教わった。「いくら働いても経験だけでは勝てない。だから、勉強をしなければいけない。しかし知識だけでも勝てない。“経験×知識”が知恵を生み出す。そして知恵こそが会社を成長させる、ということ学んだ。だから商売をしながら、がむしゃらに勉強した」(平氏)。

 3人目は、故林信太郎氏。元通商産業省の官僚、ジャスコの元代表取締役副会長で“競争とは企業を磨く砥石である”ことを学んだ。「『小売業にとって競争は宿命だ。競争に積極的に参加しなければ成長しない。競争が厳しくなるとつい弱気の虫が出て逃げたくなるけれども、それはいけない』、と鼓舞激励された。セルコチェーン理事長を務めていた50代後半にとくに影響を受けた」(平氏)。

 平氏が心がけているのは「経営はABC」ということだ。A「当たり前のことを」、B「馬鹿にしないで」、C「ちゃんとやること」という意味である。「創業経営者で成功した人には頭のいい人はそれほど多くはいません。当たり前のことを、地味な努力をコツコツと繰り返すタイプが成功していると思います。まずは当たり前のことを真面目にやることが大切です」(平氏)。

 さて現在のエコスは、75店舗を展開するエコスのほか、たいらや(栃木県/平典子社長:26店舗)、マスダ(茨城県/千羽一郎社長:13店舗)、与野フードセンター(埼玉県/木村幸治社長:14店舗)の4つの企業で首都圏に合計128店舗を展開する。ここに物流センターの管理運営業務などを担うTSロジテック(東京都/瀧田勇介社長)を加えた5社でグループを形成している。

20212月期のエコスの業績(連結)は、営業収益1360億円(対前期比7.5%増)、営業利益57.4億円(同33.8%増)、経常利益58.7億円(同33.4%増)と好業績を保っている。