2020年以降、ネットスーパーはコロナ禍の影響を受け疾風怒濤の勢いで売り上げを伸長している。その背景にあるのは、消費者の行動変容による外出の控えや、内食ニーズの高まりを受けた需要の急拡大だ。しかしこうした「食のECシフト」が加速する現在も、ネットスーパーの黒字化は難しい課題であり、多くの企業が苦戦している。
一方で、インターネットなど無かった時代から宅配サービスに注力し、15年前からネットスーパー事業の黒字化を達成、今日まで順調に売上を伸ばし続けている企業がある。三重県地盤のローカルスーパー、スーパーサンシだ。
本連載では、スーパーサンシで常務取締役NetMarket事業本部長を務める高倉照和氏が、ネットスーパー事業で成功を収めるまでの道のりと、今後のネットスーパーの展望について語っていく。
試行錯誤した宅配サービス黎明期
1947年創業の三泗百貨店が、スーパーサンシを設立したのは1973年。創業の地である三重県四日市市は、1758年から続くイオンのお膝元でもあり、現在も三重県内はイオン店舗の密集地帯です。
スーパーサンシがスーパーマーケット事業を展開し始めた時点で、イオンはすでに全国規模の大企業に成長し、正攻法で敵う相手ではありませんでした。1970年代はドラッグストアやコンビニエンスストアなど、新たな業態の小売業が登場し始めた時期でもあります。当社も生き残りをかけた新たな事業形態を模索した結果、生鮮食品の宅配サービスをスタートしました。
サービス開始当初は「店舗型ビジネスに対抗する」という発想だったため、三重県と愛知県に4箇所のデポを構え、小規模なセンター型の出荷を採用しました。出店コストを抑えて利益を上げる戦略です。
運営では、受注を取るために「フレッシュレディ」と呼ばれるパートタイマーを100人体制で採用し、昔ながらの「御用聞き」方式で、近隣住居を1軒1軒訪ねて回りました。電話注文においては、まだ自動受注システムもないので、社員を動員してオペレーションにあたりました。宅配に関わる物流も自社運営で、「フレッシュ物流」という会社を立ち上げて、週2から3回の配送を行っていました。
そうして始まった宅配サービスですが、売上はまったく振るわず、売れても次の注文に繋がりませんでした。初期段階では会費も無料だったので、利益もほとんどでません。さらにセンター型スーパーの問題点として、商品を倉庫へ移動させる間に鮮度を損なう問題や、在庫の商品ロスの問題が浮かび上がってきました。この「損失の時代」は15年ほど続くことになります。
会費・送料無料を捨て、月額会費制を選択
1980年ごろになると、電話の自動音声応答システムを開発し導入しました。プッシュホンを用いた入力操作で発注が容易になり、売上増が期待されましたが、相変わらず採算性の問題は残りました。
これと同時期に、ある大学教授から「会費制を導入すべき」という助言を受け、大いに判断を迷いました。ただでさえ売れないサービスに会費を上乗せするとお客さまが途絶えるのでは、とも思いましたが、背に腹は代えられない状況でした。
既存会員は無料制のまま、おそるおそる新規会員から月額500円の会費制に切り替えましたが、現在にような「サブスク」という言葉も無かった時代です。案の定、新規会員開拓には、いばらの道が待っていました。後に苦肉の策で資源ゴミの回収を始めたのもひとえに会員開発のためです。
現在もネットスーパーの多くは会費無料で、一定額購入すれば配送料も無料になります。しかし「まとめ買い」を促すシステムは反面、注文頻度減少につながり、それが配送効率を低下させ、ネットスーパーの赤字要因のひとつにもなっています。
共同購入の歴史が長い生活協同組合(生協)は、2020年度に宅配事業売上高が2兆1170億円に達しています。これに対して、ネットスーパーの売上高は業界全体で3000億円ほどと言われています。利益面でみても、よくて赤字スレスレ、実質かなりの赤字であるケースがほとんどでしょう。
西友(東京都)やイトーヨーカ堂(東京都)などの大手小売のネットスーパー参入が続いた2000年ごろ、ネットスーパー運営各社は巨額を投じてUI開発などを行いましが、売上はたいして増えませんでした。生協でもコープこうべ(兵庫県)を筆頭にEC化が進められていますが、今でも商品カタログを見てOCR注文用紙に手書きで数量を記入するアナログな発注方式をとっているケースが多いと言われています。
つまり、デジタル的なUIなしに、2兆円を売り上げているのです。システムの進化と集客力アップはセットではないのです。ネットスーパーのUIは、利用するお客さまにとって大切な要素のひとつではありますが、それは氷山の一角です。
ネットスーパーおよび宅配サービスを収益化するにあたり、もっとも難しい要素は、受注商品の収集や在庫管理、商品のピッキングや配送の効率化にあります。当社が長期にわたる試行錯誤と苦難の道中でこのポイントを発見し、ノウハウの蓄積と手法の洗練を重ねられたのは幸いだと言えます。
センター型に見切りをつけ、店舗出荷型に転向
1990年、四日市市の「いくわ店」を皮切りに、センター型の出荷を店舗出荷型へ切り替え始めました。その結果、生鮮食品の売上高構成比が大幅にアップしました。
飲食店の馴染み客が出前の注文を入れるように、宅配サービスもあくまで店舗への信頼に基づいて利用されます。スーパーサンシの店舗を利用し慣れているお客さまだからこそ、宅配会員にも入会されるのです。
小売世界最大手のウォルマート(Walmart)は、2014年ごろからグローバル戦略に「Physical & Digital」の融合を掲げ、店舗とネット両方のチャネルで顧客のニーズを反映しています。今では店舗出荷型が主流になり、店舗に対抗するのではなく、「店舗を強化する」のが宅配サービスであるという発想は自明の理となっていますが、当時は大きな方向転換でした。
「リアル店舗プラスオン」の宅配という体制に落ち着くと、新規入会者は伸びずとも退会者が減少していきました。赤字が続くものの出血量が抑えられ、「宅配事業のコツがつかめた」状態になっていったのです。
ネットスーパー成功に通じたもう1つの大転機
スーパーサンシのネットスーパーには、もう1つ大転機があります。それは、インターネットの普及です。
インターネット黎明期を迎えた1995年、三井物産のEC事業プロジェクトとして、ショッピングモール「キュリオシティ」が立ち上がりました。同サービスは、CD-ROMに収録された電子カタログ閲覧とインターネット注文を連携したサービスでした。
当時は一般家庭へのネット回線普及率が3%以下と、まだほんの一部にしか使われていない時期で、世間の興味もそれほど強くありませんでした。私もネットショッピングが一般へ浸透するには難があるだろうと予想していました。
考えが変わったのは、1997年冬のある日のことです。大雪に降り込められ、出勤もできない状況だったので、自宅でISPサービス「BEKKOAME//INTERNET」を利用してインターネットに接続してみました。ポータルサイト「MSN」を開いてみると、じわじわとビル・ゲイツの画像を読み込み、彼の話す声が再生されていきます。これに私は大きな衝撃を受けました。
文字ベースの「パソコン通信」とは異なり、インターネットはお客さまにより多くの情報が伝えられるーー。新しいビジネスの可能性を感じてインターネットの研究を進めていると、同年5月にインターネットショッピングモールの「楽天市場」が開設されました。これにも刺激を受け、同年の8月ごろに自社ドメインを取得し、簡単なWebサイトを立ち上げたのです。
次回は2000年代以降、電話応答中心の宅配サービスがネットスーパーへ移り、黒字化を達成するまでをお話していきたいと思います。