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国内アパレルの悲劇 差別化できないのは、「ブランド」と「分類」を混同しているから

先日、あるメディアで面白い記事を読んだ。ある二次流通企業(中古品の売買等)が、AI (人工知能)を使って、取り扱い商品が「本物」か「偽物」かを見分ける試みを始めたというものだ。今回は、「本物か偽物か」という話ではなく、「本物」とは何か「偽物」とは何かという論点から、ブランドビジネスで理解すべき点をまとめるとともに、なぜブランドビジネスを理解することが、デジタル化の果てに到達する「付加価値をめぐる戦い」で勝ち残るためのカギとなるのかについて、解説していきたい。

Photo by Neyya

 ブランドとは何か?

 「先人達が苦労して作り上げてきた『ブランド』という無形資産価値を、法的にもビジネス的にも守り抜くべきだ』と私は考えている。同時に、「そうしたブランドのコピーまがいの商品を使って消費者をだまし、ビジネスをすることは決して許されない」という立場に立っている。

 これらの前提を踏まえた上で、われわれ日本人の多くが、よく理解できていない「ブランドとは何か」について解説したい。

  例えば、ネットなどの投稿を見ていると「ブランドは所詮、単なる名前。そもそも無価値なもので、“ブランド好き”の道楽。金の無駄だ」という論調がやたらと目につく。そのため、「ブランド品を身にまとっている」という発言をすると、(やっかみも含め)ネガティブに捉えられることも多いだろう。

  実際、われわれ日本人はバブル時代にブランド品を買いあさり、過剰消費を行ってきたが、バブル崩壊後はいわゆる「ブランド品」とは違うものが受け入れられるようになっていった。その典型が『無印良品』だ。「印(しるし)はないが、良い商品」という、まさに「名は体を表す」メッセージが、多くの日本人に(そして、世界に)受け入れられていった。

 もともと「ブランド」は、ヨーロッパなどの貴族文化からきており、特権階級とそうでない人達の差を表すためのものだった。その意味で、ブランド品を持つということによって、われわれ日本人は、自らがある種特権階級意識のような優越感を感じることもあるし、逆にそういう感覚を強く持つ人に対して、嫌な気持ちを感じることもあるだろう。

ブランドはタテの差なのに、ヨコの差(スタイルの違い)と混同している

 ひとえに『ブランド』といっても、ピンからキリまである。だから私は「(大部分の)実態の無い、蜃気楼のようなものが、永続性をもって企業に利益を生み続けるはずが無い」「価値のないもの、まがいものはいずれ淘汰される」と考えている。そこで、「本当にブランドというものは『名前だけ』なのか」について、2年がかりで日本中、いや、世界を周り、世界で認められているさまざまな「ブランド」の生い立ちや「育まれていった価値」について調べたことがある。

  その結果、確かに「名ばかりのブランドと称するもの」が現実には大半を占めている(た)こと、「なんら価値がないものに単に『名前だけ』をつけ、大きなビジネスとして成立している」ケースを山のように確認できた。その最たるものが、皮肉にも、私が改革を進めていた「アパレル業界」だったのだ。

 実際、アパレル業界で「ブランド」という言葉を使わない日はないし、「アパレルビジネス=ブランドビジネス」だと信じている人がほとんどだろう。だから、冒頭で述べたように「これは本物か偽物か」という議論も生まれてくるのだ。しかし、実際にアパレル商品のOEM (請負生産)を現場でやっていた自身の経験から言うと、同じ工場、同じ素材、同じ技術で作られたものが、名前(タグ)を変えるだけで、松・竹・梅と価格帯が全く異なる「ブランド」に姿を変えているのは事実だ。もともと商品に物理的な差がないのだから、消費者が(この連載などを通して色々な知識を付けて)生産背景を理解すればするほど、「名前」に価値を置かず、むしろ実利的な部分を機能比較し、コスパのよい商品が売れるのは自然な流れだった。

 ここには日本企業の、ブランド戦略に対する不理解がある。例えば、「これからは、高齢化社会だ。アクティブシニア向けのブランドを立ち上げよう」という議論がアパレル企業から出たとしよう。この会話から、違和感を感じる人はどれほどいるだろうか。そもそも「クラス」、つまり「タテの差」(階級/階層)を表すものがブランドなのだが、この議論では、「ヨコの差」(趣味やライフスタイルの違い)を表すものに変化しているのである。ここが、多くの人が気づいていない盲点である。

  この「タテ」と「ヨコ」の境界線は激しく混同され、本来、タテの差(あの人より、私の方が上なのだ)というメッセージと、ヨコの差(あの人と、私はスタイル、趣味が異なる)というメッセージが混在している。また、人によって解釈にもバラツキがあり、本来ブランドが持つはずの「価値の松竹梅」(価値が上か下か)をうまく表現できずに、「梅勝負(廉価品勝負)」となり、結果として差別化のポイントが価格のみになってしまっているのだ。

  ここに気づいている企業とそうでない企業の差は極めて大きく、一部の企業が一人勝ちしているのはこのためだ。

ブランドの本質を見誤った悲劇

 この混同により、誤ったビジネス戦略が生まれ、多くの悲劇がいまも起こっている。

 「ブランド」とは、裏側に非常に高い付加価値が存在し、その付加価値を守り抜くための品質証明である。逆に言えば、物理的に同じような「モノ」を名前だけ変え、桁違いの値段で販売するようなビジネスではない。

 だからブランド品を買うことは、なんら恥ずかしいことでもないし、良い商品の価値が理解できるということは、むしろ、裏にある職人の技能や伝統をリスペクトするということ(価値を認める)でもある。つまり、「良いモノが分かる」ことは、教養という観点からもとても良いことなのである。

 しかし、こうした審美眼は、一朝一夕では鍛えられない。消費者が成熟し、価値を理解しながらお金を使うべきところに使い、使わないところには使わない。これを「消費の知的購買化」と呼ぶが、こうした知的購買が普段の生活になじむためには時間がかかる(当然お金もかかる)。少なくとも、欧州で発展した貴族文化についての理解を体の隅々になじませるにはなおさらだし、私を含めて誰もができることでもない。

 アジアの方達が日本に押し寄せ、それを「爆買い」などと評しているが、我々だってバブル時代に同じことを世界でやってきた。例えば日本人は米国のティファニーに大挙で押し寄せ、わしづかみで「オープンハート」を買っていったものだ。人間の本質など変わらないのである。

 このように、一般的には消費の知的購買化は時間がかかる。だが、ある理由により、その状況も一変しようとしている。スマホの普及とテクノロジーの進化である。

 一昔前のスーパーコンピューター並の処理能力を持つデバイスを誰もが持つようになった。企業側も類似商品の価格比較や、プロや実際の購買者によるパフォーマンス評価をWEBに掲載し、AI (人工知能)などによって過去の購買履歴から、その顧客が欲しいものをリコメンドする世の中が到来したのだ。こうなると、急速に消費者の知的購買は加速する。

 気づけば、「縦の線」(ブランド)と「横の線」(分類名)の差をしっかり理解してこなかった企業、とりわけ、ブランドによる松竹梅を、価値の松竹梅に連携させることをしてこなかった企業は、一発でディスラプト(産業破壊)されるようになってしまったのだ。

 これが、私のいう「ブランドの本質を見誤った悲劇」である。

デジタル化の先にあるのは、ブランドを基軸とした付加価値戦

 ブランドビジネスは恐ろしい。「縦の線」と「横の線」を理解している企業(多くが欧米企業だが)が、理解していない消費者から根こそぎ金を奪い取る。明らかに日本人はブランドづくりが下手で、ブランドにお金は落とすが、自分で育みビジネスとして拡大するのは(ごく一部の例外を除いて)下手だ。

 人は、同じものなら、本物か安い方を買う。日本のアパレル業界の差別化のポイントが、現在のように「価格のみ」となってしまったのは、こうした背景があったからだ。だから、ブランドをつかってビジネスを成長させたいのであれば、きちんと「ブランド間の価値、優劣の差」を定義し、また、競合に対しても、しっかり差別化するための戦略を考えなければならない。価格競争から抜け出すためにはそれしかないだろう。

 そして、値段が高くとも、消費者がそれ以上の満足を得られる「ブランド」こそ構築すべき最重要課題であると考えている。もちろん、これは「言うは易く行うは難し」だ。それが簡単にできれば苦労しないというのは十二分に理解しているし、かくいう私自身も、多くのブランドを立ち上げ、また失敗もした。

 しかし、世の中をみてみよう。勝っている企業は、例外なく「他とは違うビジネス」を展開し、きっちりと自社のブランドポジションを確立している。決して、あっちに、こっちにふらついたりしていない。守るべきこと、そして、絶対にしないことを頑なに堅持し守り抜いている。

 デジタル化の本質は、Optimization (最適化)である。つまり、重複した業務、不要な時間の削除、無駄な在庫、無駄な資産、そして、悲しいことだが無駄な人員までも浮かび上がらせ、企業に提示する。そして、これも悲しいことではあるが、労働者の40%が不要人材で、80%以上が、コストに見合った付加価値を生み出していないという事実を浮かび上がらせる。私は、過去、OVA (Overhead Analysisというホワイトカラーの付加価値分析をなんどもやり、こうした組織のムダを浮かび上がらせてきた経験からいっている。デジタル化とは、こうしたオペレーション上のムリ、ムダ、ムチャを浮かび上がらせ、我々の仕事の生産性を上げるだけでなく、我々の仕事上の必要性さえも問いかけるのだ。

 誰かが書いた本に、このようなものがあった。「金持ちがポルシェを買うのは、リセールバリューが高いからだ」と。確かに、数千万円もするポルシェを買っても、きれいにつかっていれば、買ったときとほとんど同じ値段で売ることができる。下手をしたら、それ以上かもしれない。しかし、本当に、ポルシェが売れるのはリセールバリューが高いからなのだろうか? 私はそうは思わない。少なくとも、私が乗っているBMWは、リセールのことなど考えていない。私が、BMWを買ったのは、「駆け抜ける喜び」を感じるからだ。ポルシェのオーナーの多くも、リセールが高いからでなく、ポルシェに乗ることに喜びを感じ、ワクワク感を感じるからだ。でなければ、ベンツ、BMW、AUDIのジャーマン御三家が高収益を生み乱す理由が説明できない。

  この「ワクワク感」こそが、ブランドの本質である。このワクワク感を、定量的なROI(投資回収率)で説明しようとするから、世の中の車のボディカラーの多くは、(リセールを気にして)白か黒色かになってしまう。また、二時流通が発展していない衣料品の世界では、リセールで最も売れているのはユニクロになるし、新品の衣料品で売れているのも、何年も使えるワークマンということになる。

 目に見えないもの。Intangible asset (無形固定資産)の価値を正しく評価できない市場は、価格と品質のバランスが唯一の購買要因となり、やがて発展する途上国に抜かされ衰退してゆくことになる。我々は、そもそもファッションが持つ楽しさ、心の豊かさをもう一度ビジネスとして利用するための施策を真面目に検討する時期がきているといえる。

 

プロフィール

河合 拓(事業再生コンサルタント/ターンアラウンドマネージャー)

ブランド再生、マーケティング戦略など実績多数。国内外のプライベートエクイティファンドに対しての投資アドバイザリ業務、事業評価(ビジネスデューディリジェンス)、事業提携交渉支援、M&A戦略、製品市場戦略など経験豊富。百貨店向けプライベートブランド開発では同社のPBを最高益につなげ、大手レストランチェーン、GMS再生などの実績も多数。東証一部上場企業の社外取締役(~2016年5月まで)