再び、謙虚について
以前、このBLOG(2010年12月2日)で「またそのさまとしての謙虚」という話を書き、謙虚であることの不思議さについて指摘した。
本日は、再び、謙虚について考えてみたい。
実は、私自身を振り返った時に謙虚であることを表明する場所というのはいくつかある。
たとえば、講演会の場である。受講者の方々に対して「私は編集者であるため、喋るのは本職ではなく本当に下手です」と前置きをしておく。
または、会話の中で、「私は知っていることよりも、知らないことの方が多いんですよ」と自然と発言したりするのもそのひとつだろう。
こうした言葉を、誠意をこめた感じで、それらしく言えば、傍からは謙虚に見えるに違いない。
しかし、本当のところ、それは謙虚でもなんでもなく、本音で言えば、できなかった時の言い訳づくりであり、自己防衛のエクスキューズを先出ししているにすぎない。
しかもこの手法がずるいのは、実際にうまくできた場合は、謙虚に見えてしまうところだ。
謙虚であることに対する人様の好意を巧妙に付けこむ汚い手口のひとつだと思うし、こんな形で謙虚の伏線を張るというのは、やっていても嫌な話である。
ただ私も、追い詰められそうになった時には、そんな格好で逃げ場づくりとして、謙虚を使っているようなところがあるから、他の方のことをあれこれ非難するような立場にはない。
そして、そう考えると、控えめでつつましいのは置いておいて、等身大の姿をしっかりと等身大として伝えることがもっとも誠実だとも思うのである。
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