コロナ禍を背景に怒濤の勢いで急拡大するネットスーパー。だが、収益化の問題は根深く、いまだ多くのネットスーパーが赤字を続けている。スーパーサンシで常務取締役NetMarket事業本部長を務めるネットスーパーのプロ、高倉照和氏にネットスーパーの展望を語る本連載。連載2回目では、スーパーサンシがネットスーパー事業で黒字化を果たすまでの道のりを語ってもらった。
ネットスーパー立ち上げが続くも……
前回は、スーパーサンシが三重県で生き残るためのドミナント戦略として、1970年代から宅配サービスに注力してきたこと。15年ほど「損失の時代」と呼ぶべき苦戦と試行錯誤を繰り返し、独自のノウハウを蓄積して、90年代に宅配事業のコツを掴むまでをお話ししました。
インターネット黎明期を迎えた97年、スーパーサンシは独自ドメインを取得してネットスーパーの先駆けと言えるWebサイトを立ち上げていました。ですが、まだ画像の読み込みで追加の電話料金がかかってしまう「ダイヤルアップ接続(ISDN)」の時代だったこともあり、ネットスーパー事業にはそこまで注力していませんでした。
1999年になると、「ココデス」というネットスーパー系のベンチャーが立ち上がり、西濃運輸と組んで生鮮食品を除いた雑貨などのアイテムを配送するサービスを展開。翌2000年の5月には、西友(東京都)がココデスと提携する形でネットスーパーに参入しました。
コンビニエンスストアのサンクスアンドアソシエイツ(サークルケイ・ジャパンとの統合などを経て2016年にファミリーマートが経営統合)や、マイカルの子会社だったポロロッカ(2007年にマルエツが吸収合併)もこの年にネットスーパーを立ち上げ、各社それぞれに倉庫型や店舗出荷型を採用して試行錯誤していましたが、どこもなかなか売れず、赤字続きだったようです。
2001年になると、イトーヨーカ堂(東京都)やイズミヤ(大阪府)もネットスーパーを立ち上げました。しかし店舗の集客が好調な時代だったこともあり、ネットスーパー事業そのものは各企業の中でもそれほど重要視されていなかったのではないかと思います。
インターネット普及で状況が一変
しかし、2001年に急速な変化が起こりました。ソフトバンクがADSL方式のインターネット接続サービスに参入し、安くて高速な「Yahoo! BB」を提供開始したのです。街中の至るところでADSLモデムを無料配布する大胆な販促を記憶に留めている方も多いでしょう。
Yahoo! BBは驚異的なスピードで加入者を増やし、その勢いは「ブロードバンド」が流行語になるほどでした。その結果、当時私たちが予想していたよりもずっと速く国内の一般家庭にインターネットが浸透して行きました。
ブロードバンドの普及によって、「楽天」を始めとしたインターネット通販が盛り上がり、また各システム会社の持ち込みもあってか、2005年ごろから各社がネットスーパーに本腰を入れ始めました。イトーヨーカ堂を例にとると、それまで3店舗だったネットスーパーを2006年には10店舗へ広げ、2007年からはいよいよ一気に全国拡大に転じ、2009年には100店舗を超える勢いでした。
長らくネットスーパーに否定的だったイオン(千葉県)も、2007年にネットスーパー事業に参入。ようやくこの年に大手GMSのネットスーパーが出揃いました。
その頃のスーパーサンシはというと、2005年時点でネットでの受注率が50%を超え、長らく続けてきた電話受注を上回りました。これが黒字化への大きな転換点となり、本格的なネットスーパー時代の到来を確信したのです。
黒字化最大のハードルは「受注」
“ネットスーパーおよび宅配サービスを収益化するにあたり、もっとも難しい要素は、受注商品の収集や在庫管理、商品のピッキングや配送の効率化にある”とは前回お話した通りです。
1975年から宅配サービスを始め、2005年に黒字化体制を取れるようになるまで、スーパーサンシは赤字続きの茨の道で苦労を重ねました。その中で、まず磨かれたのがピッキング効率です。さらに、配送を関連会社への委託から完全自社化してローコスト化しました。
もう1つの大きなポイントが会員開発です。売上がそれほどなかった頃からからコツコツと試行錯誤を繰り返し、どうすれば会員が集められるのか、その手法とノウハウが練り上げられました。
しかし、黒字化をめざす中で大きなハードルが残っていました。それは受注システムにかかる多大なコストです。
当初用意していた「フレッシュレディ」による御用聞きスタイルを廃止して以降、1980年のスーパーサンシの宅配サービスでは、電話受注を採用していました。自動音声システムなどを導入し利便性向上やコストカットを図っていましたが、どうしても省けなかったのが「カタログの発行」です。
電話受注に際しては、1万点以上の品目を掲載した電話帳ほどの厚みがあるカタログを、季節に合わせて年4回印刷していました。カタログ掲載にあたり、刺身や肉、野菜の写真をモノクロで印刷しても、お客さまの購買意欲が湧かないので、フルカラー印刷や2色刷りを採用します。そうした印刷コストに加えて、会員さまのご自宅への配送費用もかかります。
相場の問題もありました。生鮮品の相場は毎日変動しますが、カタログの価格は変えられません。たとえば、198円と掲載したキャベツの相場が値上がりすれは大損になり、値下がりすれば誰も買いません。スーパーの目玉である特売も企画できないという問題もありました。
そこで、季刊カタログに加えて週間発行のカタログも作成しましたが、これもプラスオンのコストになります。そのうえ、1週間の間でもやはり相場は変動するので、「損をする構造」から抜け切れませんでした。
この最後の壁を打ち破ったのが、2005年のネット受注比率50%達成でした。電話受注の人員削減、カタログ作成・配布のコスト削減、相場との価格の乖離といった損失の構造から解放され、黒字化が明確に見え、実際にこの年から急速に収益が改善していきました。
携帯、スマホ、そしてコロナ禍がネットスーパーを加速
2007年1月にApple社が初代iPhoneを発表し、日本ではソフトバンクが2008年6月に登場したiPhone 3Gの代理販売を開始しました。スマートフォンの普及によってインターネットはますます手軽になり、これもネットスーパーの大きな転換点となりました。
ネットスーパー業界の動きとしては、GMSに遅れて2011年にライフコーポレーション(大阪府)が参入。2015年に本格的にアクセルを踏みはじめ、事業を拡大していきました。
スーパーサンシは2011年の時点で一定規模のネットスーパー売上高があったので、PC用のWebサイトに加えて「iモード」などのガラケー用サイトも整備し、どちらも数回リニューアルを実施しました。2012年にはスマホ用のWeb対応システムをスタートし、2015年にはiPhone、android両方に対応したアプリをリリースしました。
アプリなどの開発を手掛けると、莫大な開発費がかかります。OSに合わせてバージョンアップを続ける必要があり、また5Gの普及に向けてAIやVRなどの最新技術も検討していくべきでしょう。
そうした中、スーパーサンシは2019年5月にネット宅配プラットフォーム事業の「JAPAN NetMarket(ジャパンネットマーケット)」を立ち上げました。スーパーサンシではこれまで、自社ノウハウを外部に提供してきませんでしたが、これからはさまざまな地方のローカルチェーンと提携し、ネットスーパーを拡げていきたいと考えたのです。増大する開発費をカバーしながら、常に進化する最強のプラットフォームを創り上げるためです。
そこにまったく意図せぬことですが、2020年はコロナ禍によるネットスーパーのゲームチェンジが起こりました。2019年まではどのネットスーパーも「あまり売れなくて困る」というのがほとんどでしたが、状況が一変しました。コロナ禍の影響により、5年ほどネットスーパーの浸透が早まったと感じています。
2005年以降、スーパーサンシにおけるネットスーパー事業の売上高は順調に伸び続けており、毎年2ケタ近くの伸びを示しています。コロナ禍収束後に市場がどうなるかはまだわかりませんが、アフターコロナの時代もこの潮流は変わらないと確信しています。ジャパンネットマーケットの提携各社も自社のネットスーパー事業に本腰を入れており、今後はより大きな成長が期待されます。
次回は、大手を含め、ネットスーパーの黒字化がなぜそんなに難しいのか、どうすれば売れて儲かるネットスーパーの構築が実現できるのかを解説していきたいと思います。