デジタル後進企業・英マークス&スペンサーがDXに成功した経緯と理由とは
ポイントプログラムからの”勇気ある撤退”で会員数は2倍以上に
M&Sのロイヤルティプログラム「SPRAKS」も刷新した。具体的には、従来のプラスチック製カードをメーンとした「ポイントプログラム」から、アプリを活用した「パーソナライズオファー」への転換を図った。つまり、顧客に対して購買に対するギャランティーとしてポイントを付与するということをやめ、アプリを介して個々のお客に「カスタマイズされた体験」を提供することをめざしたのだ。
まず注目したいのが、ポイントに変わる機能として、「英国のすべての店舗で毎週 1 人の顧客の買物が無料になる」というイベントを企画した点だ。誰でも必ず付与される「ポイント」ではなく、リターンが大きくゲーム性の高い「イベント」を実施することで、割引の乱発やそれに対する引当金を減らしたのだ。
ポイントプログラムを「捨てる」という判断は非常に勇気のいることである。しかしM&Sの場合、以前のポイントプログラムの会員は約700万人だったのに対して、現在のアプリ会員は約1500万人と倍以上の人数を獲得しており、現状は”勇気ある判断”がよい結果をもたらしているようだ。
M&Sのアプリではこのほか、パーソナライズされたクーポンなどのオファーを受けられたり、アプリを使った店内でのセルフ決済サービス、アプリ上で注文した商品の店頭受け取りサービス、さらには購入金額の一部を自分の選んだ慈善団体に寄付できたりといった豊富な機能を提供。ポイントプログラムでは”金銭的なつながり”しか生まなかったが、アプリを介した”体験を軸としたつながり”を創り出している。
パーソナライゼーションのパターンは「5億通り」に
ロンドンで今年6月6〜8日に開催されたヨーロッパ最大のリテールカンファレンス「Shoptalk Europe」で、M&SのHead of Growth & Personalisation(成長とパーソナライゼーションの最高責任者)を務めるアレックス・ウイリアム氏は、「小売企業の将来を左右する主要ドライバーは顧客データであり、顧客とのすべての接点で顧客生涯価値(LTV)を高めるためのパーソナライゼーション能力をどのように構築するかが重要だ」と語っている。
実際にM&SはNever the Same Again戦略のもとデータ環境を構築し、SPRAKSアプリを刷新してからの2年間で、すでに5億ものパターンのパーソナライゼーションを実施。その結果からLTV向上のためのコミュニケーションパターンモデルの構築を進めている。
ここで重要となるのは、一つひとつの施策の良し悪しを判断するだけで終わるのではなく、テストマーケティングを繰り返しながらより良いコミュニケーションパターンモデルをM&Sがつくっていることにある。顧客の数が増え、付き合いが長くなればなるほど、この仕組みは完成へと近づき模倣困難性が増すのだ。実際に5億ものカスタマイゼーションを外部からすべて把握することは困難で、まず模倣は不可能だろう。しかも驚くべきことに、この5億のパーソナライゼーションはまだ目標の10%に過ぎないと言うのだ。つまり将来的には、ユーザー一人ひとりの細かい行動によって、パーソナライゼーションのパターンは50億通りに変化していくというのである。
アレックス氏は、顧客データを自社の「コアコンピテンシー(企業の核となる能力)」とするといった信念をつくり、組織内で伝達・共有することから始めたという。顧客に情報を発信するSPRAKS アプリやその裏のデータ基盤となるCDP(カスタマー・データ・プラットフォーム)などは、コアコンピタンスとなる顧客データを得て更新し続けるために必要なもので、顧客データを資産として活用し、データサイエンスを駆使した「高いレベルの顧客体験」で競合との競争に勝っていくというわけだ。
M&Sは単なるデジタルツールの導入ではなく、CX(顧客体験)を向上させたうえで”利益体質”に生まれ変わること、さらに永続的な競争優位性となるコアコンピタンスをつくり上げるということまで実践している。DX(デジタルトランスフォーメーション)で後れを取っていたM&Sがわずか約2年で最先端のデジタル小売業となり、さらにデータとデジタル技術の活用によって大きな競争優位性を有するようになったという事実をどう見るべきか。少なくとも、「うちはDXの波に乗り遅れた」などと嘆いている暇などなく、後発であろうが愚直にDXに着手することで数年後には違う景色が見えてくる、と言えることは確かだ。
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