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ローカル食品スーパーの名将  エブリイ岡﨑雅廣さんを悼む

去る2月1日、株式会社エブリイホーミイホールディングス(広島県福山市)の岡﨑雅廣社長がなくなった。岡﨑雅廣さんは1949年生まれ。関西学院大学卒業後、73年に阪急百貨店に入社。その後、79年に食材宅配サービスを展開するヨシケイ福山(広島県/住吉正光社長)の設立に専務取締役として参加した。

高給取りの“職人”いなくなり、瞬く間に黒字転換

エブリイ 岡﨑雅廣さん(2016年7月 取材にて)

 ヨシケイ福山は、その後、順調に業績を伸ばし、88年、岡﨑さんは同社社長に就任。その多角経営の一環として89年に設立されたのがスーパーマーケット(SM)企業のエブリイ(広島県/岡﨑浩樹社長)だ。
 義父の澤田嘉康氏が社長を務め、多店化政策を推し進め、「エブリイ玉島店」(岡山県)、「エブリイ川口店」(広島県)、「エブリイ蔵王店」(広島県)と5年間で3店舗を展開するに至った。しかし、96年、その義父が急逝してしまう。

 リーダー不在のエブリイは、岡﨑さんが管掌せざるをえなくなった。SM企業の経営は、当時の岡﨑さんにとっては、未知の領域。しかも創業から7年目を迎えていたもののエブリイはその間ずっと赤字に苦しんでいた。
 周囲からは、企業清算を勧められたという。実際、ヨシケイ福山から8億円ほど借り入れして注ぎ込めば、事業清算をすることができた。
 しかし、そうはしなかった。赤字とはいえ3店舗がそれぞれ繁盛店だったからだ。確固たる根拠はなかったが思いとどまった。

 社長に就任し、赤字である理由を調べていくと、元凶は異様に高い人件費にあった。それもそのはず。当時の職場は、作家安土敏さんの『小説スーパーマーケット』に登場するような包丁一本で勝負する“職人”肌で高給取りの従業員を多く抱えていたためだ。
“職人”の多くは、社長とすれ違っても挨拶もしない。その日の気分で仕事をする。不正も横行しており、売上額よりも仕入額が多いことも日常だった。

 ところが、ほどなくして、そうした“職人”が大挙して会社を去っていった。
「経営的に危ない。倒産も時間の問題」という同社の噂を聞きつけた“職人”たちは、船が沈む前に逃げ出すネズミよろしく早々に相次いでやめていったのだ。
 
 人間万事塞翁が馬。ところが、このことで人件費は一気に下がり、資金繰りが好転する。
高給取りの“職人”がいなくなり、会計管理を従来以上に徹底させると、事業は瞬く間に黒字転換した。

地域に愛される店であれば必ず勝ち残ることができる

 改めて「当たり前のことを当たり前にできる企業になる」という方針を共有し、勉強会に参加したり、店舗視察を繰り返し、学びながら、岡﨑さんは、第一ステップとして同社を「普通の会社」に変えた。
 2000年前後には年間3000~4000万円の利益を安定的に計上できる企業に再生した。

 しかし、岡﨑さんは、そこに満足しなかった。
「当社の店舗は大手の小型縮小版ばかりだ。これでは、将来的には勝ち残れない」。
 そんな考えから、「流通の教科書」を捨て、個店主義に舵を切る。生鮮食品を各店舗の担当者が市場【いちば】で商品を目利きし仕入れ、仕入れた者がその日のうちに売り切るというものだ。
 農産売場では、「朝どれ」の商品を販売。水産売場では地元漁港直送の新鮮な魚などを販売した。鮮度重視は畜産部門も同じで、朝にさばいた鶏肉をスキンパック包装し、その日の午後に店頭に並べる「吉備高原どり」など新しい取組みを次々と打ち出した。

 さらに、01年には、神戸物産(兵庫県/沼田博和社長)がフランチャイザーである「業務スーパー」とフランチャイズ契約を結び、加工食品や日配商品の低価格訴求も開始した。

 岡﨑さんは、「企業はその時の状況に応じて、戦略を選ばなければいけない」と言い、大手と同じ土俵に上がらないことで、自社にオリジナリティをどんどん付加していった。
 
 また、人との縁をことのほか大事にした。ある出張先で偶然再会を果たした阪急百貨店の先輩である阪食(現:阪急オアシス〈大阪府/並松誠社長〉)の千野和利社長(当時)とは、ゆるやかな連携関係を構築する。

 地道な努力は実を結び、小社ダイヤモンド・リテイルメディア社主催の「ストア・オブ・ザ・イヤー2015」で第1位を獲得した「鮮Do! エブリイ海田店」(広島県)を2014年に出店。「鮮Do! エブリイ」は同社のフォーマットであり、「鮮度・温度」と「美味しさ」に加え、オリジナルの「超鮮度商品」の品揃えに取り組んでいることが特徴だ。

 さらに2016年には、「ストア・オブ・ザ・イヤー2017」で第1位を獲得した「IKOCCA(イコッカ)エブリイ駅家店」(広島県)を開業。IKOCCAも同社のフォーマットで基本方針は従来型SMと同様に「超鮮度」「専門店化」「独自固有化」を徹底。加えて来店客に5つの“感動”を与えることに努めている。具体的には、①新鮮な食材に「出会える」、②生産者の想いに「ふれる」、③食材の魅力を「知る」、④掘り出し物を「発見する」、⑤ゆったり食事を「楽しむ」だ。

 エブリイは現在も好調をキープ。2018年6月期の売上高は787億円(直営店のみ)と18期連続で増収を達成している。

 岡﨑さんは2014年にエブリイホーミイホールディングスを設立し、社長に就任。2016年にはエブリイを含む事業会社の社長をすべて譲り、全11社※で864億円を売り上げるエブリイホーミイホールディングスの経営に専心。2019年売上1000億円達成向けて邁進していた。

※全11社:エブリイ(SM事業)、けんこう応援団(商品企画・通信販売事業)、すまいるエブリイ(障がい者支援事業)、さわ田(寿司・日本料理事業)、ホーミイダイニング(外食・給食事業)、ひな市(料亭・居酒屋事業)、アグリンクエブリイ広島(農業法人)、ヨシケイ福山(夕食材料宅配事業)、e-system(システム開発・サポート事業)、YPYエデュケーション(人財教育・研修サポート事業)
 
 岡﨑さんは昨年来、体調を崩していた。しかしグループ創業40周年を迎える2019年早々に復帰できそうという見通しの中での訃報となった。

 3月18日には福山ニューキャッスルホテルで「お別れの会」が執り行われた。
「お別れの会」委員長の岡﨑浩樹エブリイ社長は、挨拶で故人との最近の会話内容を披露した。
「これから流通業界は大変な時代を迎えることが必至。しかし、地域に愛される店であれば必ず勝ち残ることができるから、がんばれ!」。

 まだ69歳。まだまだ新しい発想を流通業界に投じて欲しかった。合掌。