頼んだよ! サッカー日本代表
4年に一度の楽しみであるFIFAワールドカップブラジル大会がいよいよ2014年6月12日から始まる。
周知のように、日本は、2012年のアフリカ選手権準優勝のコートジボワール(FIFAランキング17位)、2004年のUEFA(欧州選手権)のチャンピオンであるギリシャ(同12位)と南米予選2位でシードのコロンビア(同4位)とC 組に入った。
他の組との比較で言えば、対戦相手に恵まれており、今回はベスト8入りも期待が持てそうだ。
だからと言って、慢心は禁物なのであるが、日本代表がここに来るまでは実に長い雌伏の期間を経てきたことを考えると、隔世の感さえ感じる。
私を含め、多くの国民が日本代表に期待をかけ、注目し始めたのは、1994年のアメリカ大会予選で起こった「ドーハの悲劇」あたりからだろう。
それまでは、1992年にJリーグが創設されたとはいえ、まだまだ上位チームにいるスター選手しか知ることなく、「ブンデスリーガ」「セリエA」「プレミアリーグ」と聞いたところで「何それ?」と返すほどの知識しかなかった。
何とか初出場を決めたフランス大会で惨めな3連敗を喫した後、1998年に監督に就任したのは、フランス人のフィリップ・トルシエだった。彼は、ワールドカップで惨敗した日本代表を「未熟」と決めつけていたようなところがあった。
だから、自分の言うことを聞く持ち駒として選手を動かす戦術に終始。管理的なサッカーに徹した。
激昂型の性格で評判はそれほど良くはなかったが、2002年の日韓共催ワールドカップでは、地元の利もあって、日本代表を見事にベスト16に導いた。未熟者には、強制力による管理に効果があるのか、と妙に納得したものだ。
その反動か、トルシエ後の2002年に監督に就任した知日派でブラジル出身のスーパースター、ジーコは自由放任主義の傾向が目立った。そもそも南米のサッカーの戦術は、個人の技量に任せるところが大きく自由なのだが、これをそのまま日本に持ち込んだように見えた。
ジーコは、2006年のワールドカップドイツ大会を目指し、その主軸選手として中田和寿選手を据えると細々した指示は、それほど出しているようには見えなかった。
その放任主義に起因しているかどうかは定かではないが、ドイツ大会では再び1勝もできずにファーストステージで敗れてしまう。
ジーコの次は、2006年に就任したボスニア・ヘルツェゴビナ出身のイビチャ・オシムだ。彼のやり方は、またジーコの反動のようなものだった。
選手にとにかく考えさせた。多くの色のビブスを使った練習は、当の選手自身が「何をしているか分からない」と嘆いたほどだ。体力頼みではなく、頭を使いながら、試合を進める戦術を日本代表に定着させようとしていた。
日本代表にもフレッシュな面々が次々と呼ばれた。
南アフリカ大会の健闘を予感させ、楽しみだった矢先に、オシムは脳梗塞で倒れ、辞任せざるを得なくなった
2010年に開かれたワールドカップ南アフリカ大会は、再登板の岡田武史監督で乗り切り、ベスト16に。同じ年、イタリア人でACミラン、インテルミラノ、ユベントスを率いた現任のアルベルト・ザッケローニが監督に就任した。
こうして改めて振り返ってみると、サッカー日本代表は4年刻みで、義務教育のような管理教育、大学生のような自由放任教育、答えのない世界にて自分で考えながら解決していく社会人的教育も経てきた。
まさに日本代表に歴史あり――。そして、いよいよ大人、社会人としての充実期を迎えているのが、今のザックジャパンの強者ども、と私は見ている。 ホント、頼んだよ!
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