「アンカツ」について
競馬に詳しい方にとっては、もうとっくに旧聞の部類に入ってしまうだろうが、2月3日に「アンカツ」のニックネームで親しまれてきた安藤勝己騎手(52)が引退した。
地方の笠松競馬(岐阜県)の騎手から、2003年、JRA(日本中央競馬会)に転身。その後、「キングカメハメハ」や「ダイワスカーレット」「ブエナビスタ」などの“お手馬”で勝ったGⅠ(グレードワン競走)は実に22レース。当時、脂の乗り切った絶頂期にあり、常にリーディングジョッキーの座に君臨していた武豊騎手を脅かす好敵手として、存在感を見せた。JRAでの通算勝利数は実に1111勝を数える。
先に言ってしまうと、私はJRA移籍後の「アンカツ」には、ほとんど興味がない。成績は、非の打ちどころもないほど、あまりにも華々しく、騎手版のシンデレラストーリーは、私にとってはそれほど面白ものとは思えないからだ。
「アンカツ」から衝撃的な印象を受けたのは、1995年の桜花賞だ。
騎乗したのは、笠松競馬所属の「ライデンリーダー」。1995年は中央競馬(=JRA)と地方競馬の交流元年であり、多くのGⅠレースやGⅠレースへの優先出走権が与えられるトライアルレースが地方競馬の所属馬にも開放された。
「ライデンリーダー」は、その大きな流れを享受した。桜花賞のトライアルレース「報知杯4歳牝馬特別」(現:フィリーズレビュー)で地方競馬の所属馬として初めて勝利。しかもレースレコードを記録。その余勢を駆って、桜花賞に参戦することになったのだ。
レース当日は、単勝オッズでは1番人気に支持された。多くのファンは、地方競馬の所属馬が地方競馬所属の騎手によって、「クラシックGⅠ」(皐月賞、日本ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス)を制覇する夢物語を描いた。
ところが、「ライデンリーダー」は桜花賞では、惨敗してしまう。馬群に包まれてしまい、身動きが取れずに4位に沈んでしまったのだ。
レース後のインタビューで「アンカツ」は、男泣きをしていた。
その負けざまに胸を打たれた。
《たぶん「ライデンリーダー」のような素質馬が笠松競馬に再び現れることはないだろう。もう安藤勝己という男が、この舞台に戻ってくることはないだろう》
彼のこれからの人生を思った。
ただ、現実的には、中央競馬と地方競馬の交流は、その後、さらに活発になり、「アンカツ」もJRA騎手試験を2度目の挑戦でパスし、見事、移籍を果たすことになる。
そして冒頭のような大活躍――。
「アンカツ」は、人間の執念の尊さを見せてくれた。
そして、長く強く望めば夢は必ず叶うということも。
もちろん、因縁の桜花賞も2006年に「キストゥヘヴン」で初勝利。通算では4勝している。
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