名球会入りは大変だ
2000本安打、200勝、250セーブ。
日米のプロ野球界での合計で達成した者――。
日本プロ野球名球会(東京都/王貞治理事長)に入会できる条件である。
今年は、すでに稲葉篤紀選手(北海道日本ハムファイターズ)、宮本慎也選手(東京ヤクルトスワローズ)の2人がこの偉業を達成。大きなトラブルがなければ、福岡ソフトバンクホークスの小久保裕紀選手も近々に到達しそうであり、場合によっては、中日ドラゴンズの谷繁元信選手も達成しそうな感じだ。
稲葉選手と宮本選手は同期の桜で1994年のドラフト会議で3位と2位でそろってヤクルトスワローズに入団している。
共通項は、1994年当時にヤクルトの指揮を執っていた野村克也さんだ。
東京六大学野球に息子の克則(明治大学)さんの観戦に来ていた野村さんが、たまたま対戦相手だった法政大学稲葉選手の打撃を観て、素質に惚れ惚れ、その年のドラフトで指名した。
同期入団の宮本選手は、野村監督から《自衛隊》と呼ばれていた。そのココロは、「守備はいいけど攻撃できない」というもの。それが鍛錬を積み重ねることで、どんどん改善され、2000本安打である。
お見事! の一言に尽きる。
そして小久保裕紀選手が2000本安打を放つことができれば、3人同年度達成となり、
1980年(堀内恒夫選手、松原誠選手、柴田勲選手〈当時:ともに読売ジャイアンツ〉)、
1983年(藤田平選手〈当時:阪神タイガース〉、衣笠幸雄選手〈当時:広島東洋カープ〉、福本豊選手〈当時:阪急ブレーブス〉、山崎裕之選手〈当時:西武ライオンズ〉)、
2004年(イチロー選手〈シアトル・マリナーズ〉、清原和博選手〈当時:オリックスブルーウエーブ〉、工藤公康選手〈当時:西武ライオンズ〉)、
2005年(古田敦也選手〈当時:ヤクルトスワローズ〉、野茂英雄選手〈当時:カンザスシティ・ロイヤルズ〉、野村謙二郎選手〈当時:広島東洋カープ〉)、
2007年(松井秀喜選手〈当時:ニューヨーク・ヤンキース〉、田中幸夫選手〈当時:日本ハムファイターズ〉、前田智徳選手〈当時:広島東洋カープ〉)
に次ぐ、年間3人以上入会の快挙になる。
話はちょっと変わるが、実は、このBLOGは本日1000回を迎えた。
痛感するのは、毎日書いて積み上げていっても、1000回は3年弱を要し、相当な労力を強いられるということだ。BLOG中心で生活が回っているように感じることさえある。
それを考えると、日本プロ野球名球会入りする選手たちは、私のようにただ漫然と日常を送るのではなく、体調管理に努め、精進を続けながら、難しい数字を残している。
マラソン大会のスタートラインにさえ立つことができない自分の常識からは想像すらできないことである。
それだけに本当に素晴らしいと思う。拍手!
さてさて、蛇足ながら、気になるのは200勝投手の存在だ。
いまのところ、埼玉西武ライオンズの西口文也選手(40)が現在通算177勝を挙げて、もっとも近い存在になるが、その下は石井一久投手(38)〈埼玉西武ライオンズ〉の172勝、三浦大輔選手(38)〈横浜ベイスターズ〉の145勝、下柳剛選手(43)〈東北楽天イーグスス〉の129勝である。
工藤公康選手や山本昌弘選手のように30年間近く現役を続けられる投手も出てきたので7勝×30年=210勝という具合に細く長く記録を残す方法もあるかもしれないけれども、打者との比較で言えば、もう少し入会条件のバーを下げてもいいような気がする。
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