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ロッテ新社長・玉塚元一氏とはどのような人物なのか ファーストリテイリング、ローソン…名だたる企業のトップを歴任

菓子大手ロッテ(東京都/牛膓栄一社長)などを傘下に持つロッテホールディングス(東京都/重光昭夫会長兼社長)は、6月下旬の株主総会を経て、玉塚元一氏が同社の代表取締役社長に就任すると発表した。重光昭夫氏は会長職に専念することになる。ファーストリテイリング(山口県/柳井正会長兼社長)、ローソン(東京都/竹増貞信社長)という日本を代表する企業のトップを歴任してきた玉塚元一氏は、いったいどんな人物なのだろうか?

ローソン社長就任会見にて。右が玉塚氏

玉塚元一氏とはどんな人物か

玉塚元一氏は1962年5月23日生まれの59歳。慶應義塾普通部(中学)からラグビーを始め、慶應義塾大学3年生時にフォワード(フランカー)のレギュラーを獲得。4年生時には、関東大学対抗戦を全勝優勝し、大学選手権では準優勝を果たした。「目標を決めて、努力すれば必ず結果が得られるという自信がついた」(玉塚氏)。また、「One for all. All for one.」というチームプレーの原点も学んだという。

 1985年、海外で活躍したいという思いを胸に旭硝子(現AGC:東京都/平井良典社長)に入社する。千葉県市原市の工場に配属され、生産・物流管理を学ぶ。工場の現場で「モノ作りの原点」を2年間勉強。その後の現場主義の原点になる。その後27歳の時にシンガポールに駐在し、化学品の事業に携わる。駐在の4年間にビジネスマンとしての力不足を痛感し、帰国3年後に米国ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院に留学しMBA(経営学修士)を、またサンダーバード大学大学院で国際経営学修士号を取得。帰国後に旭硝子を退社する。

 1998年、情報システム関係について学ぶために日本IBM(東京都/山口明夫社長)に入社。3社目に営業したクライアントがファーストリテイリングで、柳井正社長に魅かれ転職を決める。

 ファーストリテイリングには、1998年から2005年まで7年間在籍。入社当時の売上高は800億円、利益は60億円の中堅企業。その後、フリースブームが到来し、1000億円の売上高が2年間で4000億円に成長。ブームが去った後の2002年に39歳で社長に就任。売上減が止まらなかったファーストリテイリングを再生軌道に立て直した。「さまざまな経験を柳井さんと一緒にして、本当に鍛えられた。柳井さんからは商売の原理原則、経営者のあるべき姿など、強烈に指導してもらった。売上が急降下して莫大な在庫が積み上げる中、もう一度お客様のニーズに立ち戻り多くの取り組みを実施した。当時のあのステージのユニクロの中では、ひとつのミッションをやり遂げたなと思っている。柳井さんには大変感謝している」(玉塚氏)。

 2005年、一念発起して再生会社リヴァンプ(東京都/湯浅智之社長)を立ち上げる。ロッテリアの再生やクリスピー・クリーム・ドーナツの日本展開を手掛けた。「リヴァンプではヒト、モノ、カネがない中で知恵を絞り、『人間力』で新規事業を生み出すノウハウを学んだ」(玉塚氏)。

ローソン入社以降の実績は

 そして2010年、ローソンに入社。社長就任までの3年半の主な実績を列挙すると…。

 社長就任前の玉塚氏のローソン社内評は、「加盟店とのスキンシップを重んじ、信頼が厚い」「組織や人財を引っ張る新しいリーダー。チームワーク、組織力を重視している」「明るく元気でローソン内に希望を与えられる人」「バイタリティにあふれている。年末年始も店舗巡回の合間に早朝5時から1時間のランニングを毎日していた」「家族を大切にしている」「過去の自慢話は一切しない」と非常に多岐にわたっていた。

 社長就任会見では、「私が幸運だと思うのは、柳井正さん、新浪剛史(現サントリーホールディングス社長)さんという日本を代表する経営者に直接、薫陶を受けられたこと。やりたくてもやれない。そのなかでさまざまな経験をさせてもらった。この学びのエキスとエッセンスのすべてを今後のローソンの飛躍にぶつけていきたい」と抱負を語っていた。

 しかしながら、2016年にローソン代表取締役会長に就いたものの2017年には退任。玉塚氏の“プロ経営者”としての力量に疑問符をつけてしまった。同じ2017年、IT企業のハーツユナイテッドグループ(現デジタルハーツホールディングス)の社長に就任し、現在に至っている。

 玉塚氏の経歴を振り返れば、非常に魅力的な人間であろうことがうかがえる。そして、新天地のロッテホールディングス――。見事、捲土重来を果たすことになるのだろうか?その経営手腕には、経済界からの視線が集まる。