時代に遅れ続けるーー1905年創業の京都の老舗鞄メーカー「一澤信三郎帆布」のHPには、ものづくりのスタンスが、こう記載されている。1世紀以上支持され続ける老舗が掲げるスローガンとして思わず、耳を疑う表現だ。だが、その言葉に嘘はなく、まさに有言実行で時代の流れに抗っている。なぜ、トレンドを追わずして、ユーザーの支持を集め続けられるのか。どんな経営術で客を引き寄せ続けているのか。一澤信三郎社長を直撃し、その極意に迫った。
不便でも「1店舗経営」を貫く理由
同社の製品を購入する方法は大きく2つある。
・京都市東山区の店舗に足を運ぶ
・WEB通販で注文する
2つとはいっても、実質的には、1店舗のみの京都の販売所で購入するのが、「一澤」の鞄を手にする王道だ。WEB通販は、遠方で訪問が困難なユーザーのための補完的手段に過ぎない。
丈夫で洒落たデザインで多くのファンを抱える同社の製品。店舗前には行列ができることも珍しくない。需要は十分にある。経営的に考えれば、店舗、人員を増やし、一人でも多くの人に購入機会を提供する。それが、サービスの質、そして売上向上の面でも理にかなっているはずだ。
「うちはむかしから製造直販でものをつくって売らせてもらっている。基本的には自社の工房で100% うちの職人たちがつくった製品を、店舗でお客さんに自分で商品に触れて、見てもらい、場合によっては帆布の匂いを嗅いでもらい、気に入ったら買ってもらうやり方でずっとやってきた」と一澤信三郎社長。顧客に対し、責任を持って品物を提供し、購入してもらうためには、工房に隣接した店舗でないと難しい。これが同社が1店舗経営を貫く理由だ。
真面目なものづくりへのこだわり
一澤社長はさらに続ける。「製造直売ということは、関連会社も下請けもない。それが一番真面目なものづくり、商いやと思っている」。作り手が責任を持って製品をつくり、自信を持って直接、顧客に販売する。当然、そこにはいわゆる第三者、利害関係者が製造に介入する余地はない。結果、職人はやりたくないことや無理難題をする必要がなくなる。「一番真面目なものづくり」という表現には、そんな意味合いが込められている。
もうひとつ、工房直結の1店舗経営には重要な「機能」がある。職人が、顧客の声をダイレクトに聞けることだ。作り手が商品説明をし、買い手は直接作り手に質問でき、意見も言える。製品づくりで重要となるユーザーの声を、企画や販促担当でなく、作り手が直接聞ける環境。それは、ものづくりにおいて究極といえるだろう。工房隣接の1店舗限定のこの販売スタイルだからこそ、「時代に遅れ続ける」と言いながら、顧客のハートを捉え続けられるのだ。
店内に所狭しと並ぶ商品は、多種多様だ。「創業から100年以上、私たちは流行を追うのではなく、本当に必要とされているかばんを作り続けてきた。私の代では多様な種類の製品を開発し、老若男女に使ってもらえることを目指している」と一澤社長。新たな製品は、顧客の生の声から生まれるが、新製品が毎年発表されるわけではない。また、一度作られた製品が廃番になることもない。同社には、いわゆる開発計画のようなものはないのだ。
製造マニュアルなし! 技術力より人間力重視の職人採用
開発計画、売上目標、販売ノルマ…。経営目線でみたとき、マストといえる数値目標のようなものが一切ない。これも、同社の大きな特徴だ。加えて、同社には製造マニュアルさえない。その理由は、「製造マニュアルに頼ると、知恵と工夫が生まれないから」。もはや、一製造業者として時代に抗うというより、一線を画し、我が道を突き進んでいるーーそうとしか思えないほど、効率化や拡大が常識のメーカー経営の王道から同社はかけ離れている。
「少量多品種の私たちのかばん作りは手間ひまがかかり過ぎて、大量生産には向いていない。コンピュータミシンも使わない。しかし、このようなやり方だからこそ、職人たちの技術は日々向上する。職人たちは何よりも、すべて自分たちで仕上げることの責任と達成感を感じながら、楽しく鞄づくりをしている」と胸を張る一澤社長。それでいて、職人の採用では、ミシンの使用歴や手先の器用さを一切チェックせず、人間性を重視しているというのだから、もはやその経営はある種の悟りの境地に辿り着いているといえる。
米名門大の「なぜ拡大戦略をとらないのか?」に対する回答
「これだけ顧客の支持を集めているのになぜ拡大戦略をとらないのか…」。経営をかじったことのある人はもちろん、経営を学問として研究する者にとってもナゾでしかない同社の経営スタンス。実際、古くから経済・商学関係の優秀な生徒を輩出し続ける、米ジョージア州の名門、エモリー大学の教授がその噂を聞きつけ、毎年学生とともに同社を視察に訪れるという。そして視察後、当然のように「なぜ?」と質問を投げかけてくる。
一澤社長はそれに対し、「放っといて」と笑った後、決まってこう答えるという。「どんなに頑張っても1日5回はご飯は食べられんでしょ」と。まるで禅問答のようだが、この答えにこそ、同社の経営の極意が凝縮されているといえる。
作り手が楽しみながらつくる、開発計画は立てない、ノルマは設定しない、製造マニュアルをつくらない、店舗は1店舗のみとし工房と直結させる…。非常識にもみえる同社の数々の「時代に遅れ続ける」経営施策は、実はその全てが自然体でいられることを見据えている。逆にいえば、道理に合わないことをすることで大切な何かが失われるーー。そのことを、代表自身がどこかで悟っているのだろう。
重要なことは「職人が機嫌良く働けること」
より具体的には「人間の持つ力」が、それといえるのかもしれない。鞄づくりに当てはめるなら、帆布の匂い、帆布の手触り、帆布の色、帆布加工で発生する音…作り手が心から満足できる、まともなものづくり。それは五感を総動員して初めて成し遂げられるーーそう確信しているからこそ、それらを難しくしたり、阻害したりすることは、微細なことでもできる限り排除する。そうした姿勢が、結果的に時代や世相に流されない、同社のものづくりの確固たるスタイルの醸成につながっている。
「みんなが機嫌よく働けるのが一番」。飄々と受け答えする一澤社長が唯一力を込めたのが、人材育成に関する質問へ向けられた、この言葉だ。これを実践するためには、工房と店舗が隣接している必要がある。なぜなら、常に職人と顧客の表情を、代表自身がその目と耳で確認する距離感が大切だからだ。このこともまた、同社が規模を拡大しない理由だろう。
メーカーにとって真の持続可能とは
「うちの商品は3世代にわたって愛用してくれる人もたくさんいる。修理できることに驚かれることもある。海外で製造していると、そもそも修理は物理的に難しいだろう。繊維も化繊だと、傷んだらおしまい」と一澤社長は、効率化と拡大路線から抜け出せなくなっているものづくりの現状をクールに分析する。
製造業はいま、「遅れられない」とばかりに持続可能であることに躍起になっているように見える。まるでそれが製造業としての時代の最先端であるかのように…。だからこそ、1905年の創業時から変わらず、ものづくりの理想を追求し続ける同社が、結果的にその先頭を走っているようにみえるのは痛快だ。
コロナ禍ではもちろん、販売機会が激減した。「時間がたっぷりあるから」と一澤社長が提案したのが、顧客宛の手紙だ。何気ない一言から「一澤だより」を制作、5万人に向けて郵送した。撮影も文章もイラストもレイアウトも、すべて社内のスタッフだけで手づくりしたというこの冊子は、顧客から喜ばれ、多くのお礼状が届いたのだという。数ヶ月かけて作るために、これまで2号のみの発刊だが、120周年に合わせて3号めを出す予定だ。
「どうすれば、持続可能なものづくりができるのか?」。そんな質問を一澤社長に投げかけるのは、どうやら愚問でしかなさそうだ。