ユナイテッドアローズ重松理名誉会長が教える アパレルが閉塞感を打破する方法とは
日本のファッションビジネスも、海外市場に活路を探っている。しかし、ユナイテッドアローズの重松理名誉会長は、「欧米市場は民族の壁があって、乗り越えるのが難しい」と厳しく見ている。しかし、欧米にも浸透する日本のカルチャーを武器に、ファッションの欧米列強と差別化すれば、「壁を突破できるのでは」と、重松会長は示唆する。
欧州のカジュアルファッションで先行
―ビームスなどが火付け役となって当時、日本では「アメカジブーム」が起こりました。ところが、ビームスではアメカジだけではなく、欧州ブランドも強化されたそうですね。
重松 当初はわれわれもアメリカ西海岸で買い付けをしていましたが、東海岸にも行くようになって、高級セレクトショップとしても知られていたニューヨークの「バーニーズ ニューヨーク」を見たことがきっかけです。そこでは品揃えの半分くらいを欧州ブランドが占めていて、こうしなければ先端にはなれないと痛感しました。パリの「サンジェルマンルック」やロンドンのファッションも知ってはいましたが、それまではアメリカだけを見ていたのです。
―日本では当時、ビームスのほかに、欧州のブランドを取り扱っていたセレクトショップはあったのでしょうか。
重松 最初にヨーロッパブランドを日本に紹介したのは現在も東京・青山にある「ベーリー・ストックマン」です。ウエスタンブーツなどを扱うウエスタンマニアのショップだったのですが、なぜかわれわれより早くヨーロッパに買い付けに行っていました。フランス人デザイナーのブランド「マリテ+フランソワ・ジルボー」がイタリアのメーカーで作ったペッグトップというジーンズがあります。5ポケットではないファッションジーンズで、世界的にも人気を博しました。そのジーンズを日本に紹介したのもこのお店です。1980年代当時のビームスのコンペティターは、ベーリー・ストックマンとシップスでした。そのような状況で、情報収集や売場の広さ、流通の背景を持っていたことで、ビームスはセレクトショップとして、存在感を高められたのではないでしょうか。