「社会的分業」について
学校の授業に「経済学史説」という必修講義があり、出欠を必ず取るので、落第にならない程度に顔を出していた。
ひとつだけ覚えているのは、アダム・スミスの『国富論』についてだ。
教授が言うには、「この中には2つのことしか書かれていない。前半は『所有と経営の分離』、後半は『社会的分業』についてだ。私のゼミの学生が、就職の面接試験でそのことを話したら見事合格した」とのこと。
「しめしめ。これは使えるぞ」と思い、脳みそのシワに刻み込んでから早25年。いまだに忘れていない。
――と、ここまでが余談である。
さて、ここから何を書きたいのかと言えば、『国富論』の主題のひとつである「社会的分業」についてだ。
人間には得手、不得手があり、何でも一番になれるわけではない。だから、得意な分野に関わる仕事に就くことで社会に貢献すればいい。
これが「社会的分業」の根幹の考え方だ。
では「社会的分業」を体現するために何をすべきか?
まずは、自分がもっとも得意とする“種目”が何であるかを探すことが大事だ。
職に就くまでの時間とは、その“種目”を探すまでの長い旅と言っていい。
得手の“種目”が走ることや泳ぐことにある人もいるだろうし、野球やサッカー、バスケットボールである人もいるだろう。
大工仕事や料理、絵かき、歌唱、ギター、ベース、作文、暗記、政治、鬼ごっこ、計算、外国語、早食い、経営、運転、シャープペンの早回し、交渉、さくらんぼのタネ飛ばし…。“種目”の数は、きっと無限だ。
しかも、競争においては、ほとんどの“種目”で負けること必至だ。
だから、日常生活の中で延々と繰り広げられる競争の勝敗に一喜一憂する必要はない。負けを繰り返す中から、自分が社会に貢献できる“種目”を探り出せばいいのだから。
そんな風に考えると、小学校の徒競走で順位付けをすることは、むしろありがたい機会のような気がする。
徒競走が苦手な人は、そんなことを悩んだり悲しんだりする時間は無駄だ、と頭を切り替え、勝てそう、向いてそう、と思われる“種目”を次から次へと当たってみればいいからだ。
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