創業者は生まれながらのアイデアマン
鈴木さんは、生まれながらの実業家であり、アイデアマンであった。
昭和30年代中頃には、足立区千住周辺に豆腐屋を10軒ほど経営していた。当時の豆腐は、店主や店員が自転車に乗って、ラッパを吹きながら売るもの。お客は、鍋やボウルなどの容器を片手に豆腐屋を止め、四角く切られた豆腐を容器に入れてもらっていた。
「これじゃあ大量販売はできないなあ」。
ある日、鈴木さんは考えた。大量に売るためには、大量に並べる必要がある。大量に並べるためには、どうすればいいのか?
ひらめいたのは、パックに入れることだった。
このアイデアをもとに、鈴木さんが試したのは、パッケージ入りの豆腐だ。
清潔感や物珍しさもあって、とてもよく売れた。
しかし、好事魔多し――。
なんと、アイデアの塊であったパッケージ豆腐に雑菌が混入してしまう。お客から苦情が入り、すべて回収することを余儀なくされた。
鈴木さんは、経営的にも打撃を受け、大きな敗北感を味わった。
「雑菌混入事件」の後、店舗戦線を縮小して、捲土重来を期した。
釣りが趣味だった鈴木さんは、何かにつけ、自宅のそばを流れる荒川に釣りをしに行った。傷心の鈴木さんが糸を垂らしていると、突然、隣に若い親子がやってきて、楽しそうに竿を振りかざして釣りを始めた。
鈴木さんは、その光景を目にして、「これだ!」とピンときた。釣具屋を始めようと考えたのだ。
帰宅すると、新しい事業への思いを妻に打ち明けた。妻は黙って頷き、へそくりの500万円を差し出した。それをタネ銭にして、豆腐屋の一角にそっと釣具屋を開業した。
釣具店経営に乗り出した鈴木さんは、小規模な生業店が散在している現状を目の当たりにして、企業化できないかと思案した。
そして釣具販売へのスーパー方式導入を手がけた。
周囲の誰もが失敗するだろうと予想し、失敗を期待した。
だが、鈴木さんの予見は見事に的中。昭和40年代に起こった経済の高度成長を追い風に、セルフサービス方式の釣具チェーンは、多くのお客に好意を持って受け入れられた。
創業期は、人一倍の苦労を自ら買って出た。
なかでも、「釣具店の要諦はエサにあり」の哲学から、エサ集めにはこだわった。供給量が少なく、仕入れできないエサは家族を動員して、遠く離れた多摩川の河川敷に採集に行った。石ころを返すと裏側に生息している虫を集めて、持って帰ってはパッケージに詰め、店頭で販売した。
また、家族や従業員を競合店に走らせ、エサを買いに行かせた。競合店で売られているパック2個を1つにまとめて、1パック分の値段で販売した。明らかな赤字商品であり、妻からは、「なぜそんなことをするのか?」と問われたが、意に介さずだった。
ロスリーダーの発想を経験的に学んでいたからだ。
こうした生き方が表しているように他人と同じことをしないのが鈴木さんの信条――。
やがて、鈴木健児さんの釣具店は、「流通革命を起こした」と評判を浴びるようになる。
その企業・店舗名は、上州屋(埼玉県)という。
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