一羽めのペンギン
1996年11月、世界市民企業集団八佰伴代表の和田一夫さんを当時の上海本部に訪ね、取材した。
同社は、95年に上海第一八佰伴百貨店を開業、97年7月1日に予定されていた香港の中国返還を睨んで、1年前の96年7月1日に本部を上海に移転。訪問したのは、その直後だった。
当時は、89年の天安門事件を受けて、日本企業の中国向け投資がぴたっと止まっていた時期――。
同業他社に先んじて、同社が巨額投資をしたことは、上海市政府から高く評価信頼され、日本の流通業としてはトップランナーをひた走っていた。
ちなみにダイエーの天津1号店は95年、イトーヨーカ堂の「中国室」新設は96年、イオングループは96年に広州1号店開業している。
この時の取材の中で和田一夫さんは、「一羽めのペンギン」について話してくれた。
「ペンギンは群れで生活している。けれども、新しい場所に移動する時には、群れの中の勇気ある一羽が先に動いて、水の中に身体を投げ出す。それを見て、安全を確認してから、二羽めが動き出す。その後、一挙に移動を開始するのだ」。
ヤオハンは、その1年後には、放漫経営が災いして経営危機が発覚。2002年、企業名も流通業界から姿を消すことになった。
しかしながら、日本の流通業界の中国進出の「一羽めのペンギン」となった和田さんは称賛されていいだろう。
それというのも日本の流通業界は、いまだにモノマネ体質から抜け出せず、その結果としてどの業態でも同質飽和(=オーバーセイムストア)化というような状態が続いているからだ。
たとえば、値下げ原資のない中で、粗利だけを削る出血大サービスのような価格訴求に疲れ果てた企業は、価格訴求から価値訴求へと、その舵をシフトさせている。
しかし、そのモデルとして、多くの企業がチェックするのは、先行する優良企業のヤオコー(埼玉県/川野清巳社長)やヨークベニマル(福島県/大高善興社長)であり、自らは、「一羽めのペンギン」には、なろうとしない。
そして、それが、新たな同質飽和化の誘因となる。
確かに「一羽めのペンギン」になることは、企業経営においてはリスクが大き過ぎると言えなくはない。しかし、自社のアイデンティティを消費者に示す最大のポイントとは、「一羽めのペンギン」になることだろう。
取材の際、和田さんは締めくくりの言葉として「不況の中で<勝ち組>になるには、危地に踏み込める勇気が何より肝要である」と語っていたのを思い出す。
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