小売業界でデータ活用の重要性が高まっている。POSから得られる売上データ、在庫管理システムのデータ、顧客の購買履歴—デジタル化の進展により、小売企業には日々膨大なデータが蓄積されていく。しかし、多くの企業では「データはあるが、活用できる人材がいない」という課題を抱えている。本稿では嘉穂無線ホールディングス(福岡県/柳瀬隆志社長)の事例を紹介する。
自社で育成する教育プログラム

北部九州・山口を中心にホームセンター(HC)60店舗以上を展開するグッデイ(福岡県/柳瀬隆志社長)は、データ活用人材育成に独自のアプローチで挑戦している。2015年、社内のデータ活用人材を育てる「グッデイデータアカデミー」を立ち上げ、現在までに約80人のデータ活用人材を育成。商品戦略の立案から店舗オペレーションの改善まで、成果を生み出し始めている。
注目すべきは、その育成方法だ。グッデイ及びグループ企業のメンバーを中心に、受講者のリテラシーに配慮した体系的な教育プログラムを開発。さらに、研修後も現場での実践を支援する体制を整備した。この地道な取り組みが実を結び、「データで語り、データで判断する」企業文化が着実に根付き始めている。
要諦(ようてい)は人材育成
08年、柳瀬社長が入社した当時のグッデイは、アナログな会社だった。「システムからデータを抜く方法が非常に限られていて、必要なデータを得るには申請を出して3~4週間待たなければならなかった。待っている間に、分析の必要性自体が失われてしまうこともあった」と柳瀬社長は振り返る。
現場はエクセルでの手作業による分析に追われていた。数万行に及ぶデータの処理は膨大な時間を要し、コピー&ペーストのミスも頻発。データ分析を依頼された担当者が、深夜まで残業する姿も決して珍しい光景ではなかったという。
外部のコンサルタントに支援を求めても状況は変わらなかった。「まずデータの持ち方を変えるべき」といった教科書的な提案に終始し、具体的なアクションは見えてこない。柳瀬社長は危機感を募らせた。
転機は15年に訪れる。クラウドデータウエアハウス(DWH)とビジュアル分析プラットフォームのTableau(タブロー)を導入したことで、分析効率やリアルタイム性が劇的に向上したのだ。
しかし、新たな課題が見えてきた。「意味のないグラフを量産する人が出てきてしまう」と柳瀬社長。データの扱い方を正しく理解し、意味のある分析ができる人材の育成が不可欠だと気付いたのだ。
まずは少数精鋭のデータ分析チームを編成。統計学やデータベースの基礎、実務での活用方法まで、体系的な学習を始めた。
これがやがて全社的な「グッデイデータアカデミー」に発展。17年には子会社カホエンタープライズ(福岡県/柳瀬隆志社長)を設立し、以前のグッデイと同じようにDXやデータ活用に悩む他企業を支援している。
皆が「できた」を実感できる教育
グッデイデータアカデミーの特徴は、教員免許を持つ小川由梨氏(カホエンタープライズ所属)とグッデイ社員を中心に開発した教育プログラムにある。小川氏は、数学に明け暮れた学生時代に教育実習も経験したが、すぐに教壇に立つ道は選ばなかった。「一度違う世界を見てから教育の道に進んでもいいかなと」。現在は、カホエンタープライズで他社のデータ活用の支援と、グッデイの人材育成を両立している。

そんな小川氏らが編み出したのが、「数学アレルギー」にも配慮したカリキュラムだ。数学という言葉を聞いた時点で身構えてしまう人も多い。できるだけ数式を使わず、専門用語も可能な限り身近な例を引き合いに伝える。
最も工夫が必要なのは、統計知識のばらつきへの対応である。学習指導要領の改訂により、世代によって学校で習う内容が異なるためだ。
「平均値までは皆さん大丈夫ですが、分散や相関係数になると、年齢が上の方は習っていなかったり忘れてしまっていたりする。グラフでも、棒グラフや折れ線グラフは皆さんイメージできますが、ヒストグラムや箱ひげ図になると途端に難しくなる」と小川氏。だれもが理解できるカリキュラムを心掛け、「わからない」が「わかった!」に変わる瞬間を大切にしているという。
もう1つの特徴は、あくまで実践重視であること。「教科書的な例題ではなく、グッデイの店舗データを使って具体的に示していく」と小川氏は話す。データは定期的に最新のものにし、即戦力となる知識とスキルの習得をめざす。
さらに、参加者の意欲と能力に応じた段階的な学習プログラムも用意した。「全員がマスターしてほしい基本編」と「もっと学びたい人のための発展編」に分け、それぞれのペースで成長できる環境を整えている。
小川氏に質問をしに訪れる参加者も増えてきた。まるで放課後の職員室のようだ。「質問をしに来た人が『わかった!』と笑顔で帰っていき、実際の業務で活用している姿を見掛けると本当にうれしい」(小川氏)。
学習効果は顕著に表れている。以前は現場任せにすると、「よその店がやっているから」「競合対策のためにこの価格で」といった感覚的な判断が目立っていた。しかし、グッデイデータアカデミーを通じて経営的な視点が浸透し始めると、より合理的な意思決定ができるようになったという。
柳瀬社長は「経営陣も気付かない細かな課題をデータで裏付けながら、現場主導の改善が進んでいる」と手応えを語る。
研修後も続く手厚いサポート
グッデイデータアカデミーは、毎年約10人、これまで延べ80人近いデータ活用人材を輩出してきた。しかし、研修での学びを現場で生かすには、想像以上に高いハードルがある。
この課題に応えるため、グッデイは23年、「データ活用推進部」を新設。5人のエキスパートが各部署の相談窓口となり、現場に積極的に溶け込んだ支援を行う。「いつでも相談して」と言うだけでなく、具体的な業務の困り事を丁寧にヒアリングし、一つひとつ解決の糸口を探っていく。
データ活用推進部の齋藤修平部長は、「データ活用の敷居を下げることが私たちのミッション」と語る。現場では、データ分析以前に、データの読み方・扱い方で戸惑っている場合も多い。
そのため、支援内容は「売上高は税込みか税抜きか」といった素朴な疑問に答えることから、データ更新作業の自動化まで多岐にわたる。似たような課題を抱える部署もあるので、共通の概念や手法を整理して伝えるなど、きめ細かなサポートを続けている。
加えて、グッデイデータアカデミーの卒業生が相談役となり、「教えることで自分も成長する」好循環が生まれ始めている。
データ活用はDIYみたいなもの
「データ活用の教育は、DIY教室みたいなもの」と柳瀬社長は語る。いくらよい道具があっても、データという素材の扱い方を知らないと、満足のいくものはつくれない。
24年からは「グッデイデータフェスティバル」をスタート。各部署でのデータ活用事例を発表し合い、表彰する制度を新設した。人事・総務部門では、健康経営の一環として社員の健康診断データを分析して健康管理に生かすなど、データ活用の領域は広がっている。
「データ活用の本質は、統計学にある」と柳瀬社長は言う。
「統計学とは、大量のデータを効率よく圧縮して、本質を理解するための考え方。これを学ぶかどうかで、データ活用の幅は全然変わってくる。AIが急速に発達していく時期と重なったが、AIのベースには機械学習や統計学がある。なんとなく『AIがあれば何でもできる』ではなく、『こういう仕組みだから、こう使える』という理解ができる人材が育ってきた」(柳瀬社長)。
グッデイは、AIとの協働が進むであろうこれからの時代を生き抜くモデルケースともなりつつある。
著者=酒井真弓
さかい・まゆみ●ノンフィクションライター。IT系ニュースサイトのアイティメディア(株)で情報システム部、イベント企画を経て、2018年フリーに転向。広報、イベント企画、コミュニティ運営、イベントや動画等のファシリテーターとして活動しながら、民間企業から行政まで取材・記事執筆に奔走している。日本初Google Cloud公式エンタープライズユーザー会「Jagu’e’r(ジャガー)」のアンバサダー。著書に『なぜ九州のホームセンターが国内有数のDX企業になれたか』(ダイヤモンド社)、『ルポ 日本のDX最前線』(集英社インターナショナル)など
本項は以上です。続きをご覧いただく場合、ダイヤモンド・ホームセンター12月15日号をご購読ください。