小売業界では1960年代から1970年代にかけてM&A(合併・買収)が頻発した。1950年代半ばから始まっていた高度成長期にあたる。百貨店を除けば中小小売店が多くを占めていた小売業界にあって、新興勢力のチェーンストアが、拡大する消費需要を取り込み台頭していった時代だ。消費需要の高まりを追い風に、売上規模の拡大を目指す企業が提携・合併を通じて成長を実現していった。
ニチイ、岡田屋、ジャスコ……流通再編の歴史
1963年、セルフハトヤ(大阪府)、岡本商店(大阪府)、エルピス(大阪府)、ヤマト小林商店(京都府)の衣料品小売・卸4社が合併しニチイが発足した。小売業界における大型合併の先駆けだ。大手の一角を占めるまで成長したが、1996年のマイカルへの社名変更から5年後の2001年に経営破綻した。2003年、再建支援を受けたイオンの完全子会社となり、2011年にイオンリテール(千葉県)に吸収された。
提携・合併を強力に推し進めたのがジャスコ(現イオン)だ。1969年、岡田屋(三重県)、フタギ(兵庫県)、シロ(大阪府)の3社が出資し共同仕入れ会社ジャスコを設立した。翌1970年には、岡田屋がフタギ、ジャスコを合併し、社名をジャスコに変更。合併を主導した岡田屋の岡田卓也氏が社長に就き、全国各地の小売業と手を結び、糾合していった。
1972年には、やまてや(広島県)、京阪ジャスコ(旧シロ)と合併し、1973年には三和商事(大分県)、福岡大丸(福岡県)、かくだい食品(山形県)、マルイチ(山形県)と合併した。かくだい食品とマルイチは、1970年にジャスコを含む8社で設立した東北ジャスコチェーンの参加企業だ。東北ジャスコチェーンは共同仕入れや商品開発に取り組んだが、のちに解散している。
合併する際には、合併先の企業が新しく全額出資の地域法人を設立し、地域法人が店舗営業を行なった。たとえば、やまてやは、あらかじめ山陽ジャスコを設立し、合併後は山陽ジャスコがジャスコから店舗営業を譲り受け運営した。大分ジャスコ、福岡ジャスコ、カクダイジャスコ、西奥羽ジャスコなども同様の方式で設立された。
ジャスコは地方百貨店にも手を伸ばした。1970年、経営難に陥っていたはやしや(長野県)に過半を出資し、1974年に信州ジャスコ(1999年にジャスコが吸収合併)に社名変更した。1970年代には、橘百貨店(宮崎県)、ほていや(長野県)などの経営支援にも乗り出した。橘百貨店はのちにドン・キホーテ(東京都)を擁するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(東京都)傘下に入り、ほていやは信州ジャスコに吸収合併されている。
消えた一大共同仕入れ
ユニー(愛知県)もジャスコと同様の形で発足した。1969年、衣料品店のほていや(愛知県)と西川屋チェン(愛知県)、繊維商社のタキヒヨー(愛知県)が合併を前提に、共同出資で共同仕入れ会社ユニーを設立。2年後の1971年に、ほていや、西川屋チェン、ユニーが合併し、新生ユニーが誕生した。ユニーは1982年、ダイエーに次ぐ小売業界2位の座をめざし、ニチイとの合併計画を発表したが、翌年撤回している。ユニーはコンビニエンスストアのファミリーマート(東京都)との経営統合(2016年)を経て、PPIHの完全子会社となった(2019年)。
共同仕入れ会社を立ち上げる動きは他にもあった。1969年、扇屋(千葉県)、伊勢甚(茨城県)、藤五(群馬県)、忠実屋(東京都)、サンコー(神奈川県)、イトーヨーカ堂(東京都)、カネ長武田(青森県)の7社が出資し、衣料品を中心とした共同仕入れ会社ナルサを設立した。
7社の合計売上高はチェーンストアのトップクラスに匹敵する規模で、小売業界の一大勢力となった。しかし、1970年代に入り、ナルサから脱退する企業が相次いだ。ダイエーと提携したサンコー、ジャスコと合併した扇屋や伊勢甚、そして忠実屋などだ。ナルサは合併に向かうことはなく消滅した。
西のダイエー、東の西友
1960年代後半から提携・合併の勢いが増していった背景には、快進撃を続けるダイエーの存在があった。1957年に創業したダイエーは同年、大阪・千林に1号店を出店。15年後の1972年には百貨店の三越(現三越伊勢丹)を抜いて小売業界首位の座に上り詰め、時代の寵児として脚光を浴びた。1963年、全国展開を見据え売上1000億円ビジョンを発表し、同年福岡県に出店。翌年には一徳(東京都)を買収し首都圏に進出したほか、四国ダイエーを設立し四国に進出した。
1968年には首都圏に攻勢をかける戦略を発表した。首都圏では、西武百貨店が1963年に設立した西友ストアー(現西友)が出店攻勢をかけており、ダイエーと並び称される存在だった。「西のダイエー、東の西友」と言われた両雄は東京・赤羽で激突し、熾烈な競争を繰り広げた。
西友ストアーは同じ西武百貨店系の食品スーパー、マイマートを1969年に吸収合併し首都圏の店舗網を拡充。一方で地方にも進出し、1970年西友ストアー関西を設立し翌年にコマストアーと合併したり、1971年に魚力と共同出資で西友ストアー長野を設立したりした。
先頭を走っていたダイエーに遅れまいと後に続く企業にとってM&Aは有効な手段だった。売上規模をひたすら追い求めるチェーンストアは巨大化の道を歩み始め、流通業界の勢力図を塗り替えていった。