栃木最強カメラチェーン!フィルムカメラシェア8割だったサトーカメラがフィルムカメラの取り扱いをやめた理由
地域密着ゆえの“責任のある商売”
サトーカメラはもとより地域密着型のチェーンだった。先代の佐藤勝男氏が東京オリンピックが開催された1964年、栃木県宇都宮市に第一号店をオープン。以降栃木県内に出店を続け、2005年には県内18店舗を抱えるまでに成長したが、それまで栃木県外へ出店したことは一度もない。「責任のある商売をしようと考えた時、責任が持てるのは栃木県内だけだと思った」と佐藤氏は話す。
サトーカメラが事業を拡大し始めた90年代、業界には家電量販店による“総合化”の波が押し寄せていた。地元栃木県にも大手家電量販店が続々と進出し、このままカメラ一本で行くのか、他の家電も取り扱う“総合化”をめざすのか決断を迫られたが、佐藤氏が出した結論は「大手の真似をしたところで、結局資本力の差で最後は負ける。真似をするのではなく、徹底的にカメラに特化し大手にできない方法を突き詰める」というものだった。
カメラ売場に限れば、家電量販店よりも専門店であるサトーカメラの方が、面積でも品揃えの面でも有利だ。さらに、「カメラを販売して終わり」ではなく、写真の撮り方やメンテナンス方法といったお客からの質問にも細やかに対応することで、「カメラと写真に関する総合的なサポートを受けられる地元の店」として、お客と店舗の間で継続的な関係性を作ることをめざした。地元密着であるがゆえお客同士の繋がりも生まれやすく、「サトーカメラで買えばカメラ仲間ができる」という評判も定着した。
これが佐藤氏のいう、「責任のある商売」の意味だ。「地域に根差し、その場所から逃れられないからこそ、来てくれる顧客に無責任な商売はできない」(佐藤氏)のだ。