辞書によれば、「魅力」とは、人の心をひきつける力という意味である。
一方、辞書に頼ることなく、本来の意味を追求してみると、「魅力」とは、「魅」の「力」ということになる。
では、そもそも「魅」とは何か?
「魅」という文字を2つの部分に分けると、「鬼」と「未」になる。調べてみると、「鬼」にも「未」にも「なんだかわからない」という意味がある。
つまり、「魅力」とは、なんだかわからない力を意味する。
だから、小売業が、ある売場を「魅力的ですね」と評価された場合、「なんだかわからないけれどいい売場ですね」という意味のほめ言葉になる。
外部の人間が「魅力的」という言葉を使い売場をほめることは別に問題はない。けれども、内部の人間が使った場合は、感覚的な言葉であるがゆえに、次の改善や改良にはつながっていかないだろう。
とくに青果売場のカラフルな陳列などは、漠然と評価されても何の意味もなさない。「きれいだ」「素晴らしい」とほめられても、なぜよいのか、科学的な根拠に基づかない限り、次の進化はありえないからだ。
感覚的な表現に惑わされないためには
ところが、これまではカラーリングやコーディネートなどの技術は、科学的根拠に基づくほめ言葉が存在しない。そのため、その売場をつくった従業員の属人的なものと考えられており、それらを企業のノウハウとして積み上げることは難しかった。
この事態を打開するために、あるスーパーマーケットでは、社長を始め幹部などが色彩検定試験を受け、色の補完関係などを学び、漠然としていた領域に統一言語を持つことにした。
「魅力」という言葉が象徴するような感覚的な良し悪しではなく、「なぜ、良いのか悪いのか」を言葉として明確にすることに努めることは、ノウハウを標準化し積み上げる意味においても非常に重要な役割を果たす。