連載・流通M&A興亡記 #1 ニチイ、岡田屋、ジャスコ……流通再編の始まり

下田 健司
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消えた一大共同仕入れ

 ユニー(愛知県)もジャスコと同様の形で発足した。1969年、衣料品店のほていや(愛知県)と西川屋チェン(愛知県)、繊維商社のタキヒヨー(愛知県)が合併を前提に、共同出資で共同仕入れ会社ユニーを設立。2年後の1971年に、ほていや、西川屋チェン、ユニーが合併し、新生ユニーが誕生した。ユニーは1982年、ダイエーに次ぐ小売業界2位の座をめざし、ニチイとの合併計画を発表したが、翌年撤回している。ユニーはコンビニエンスストアのファミリーマート(東京都)との経営統合(2016年)を経て、PPIHの完全子会社となった(2019年)。

 共同仕入れ会社を立ち上げる動きは他にもあった。1969年、扇屋(千葉県)、伊勢甚(茨城県)、藤五(群馬県)、忠実屋(東京都)、サンコー(神奈川県)、イトーヨーカ堂(東京都)、カネ長武田(青森県)の7社が出資し、衣料品を中心とした共同仕入れ会社ナルサを設立した。

 7社の合計売上高はチェーンストアのトップクラスに匹敵する規模で、小売業界の一大勢力となった。しかし、1970年代に入り、ナルサから脱退する企業が相次いだ。ダイエーと提携したサンコー、ジャスコと合併した扇屋や伊勢甚、そして忠実屋などだ。ナルサは合併に向かうことはなく消滅した。

西のダイエー、東の西友

 1960年代後半から提携・合併の勢いが増していった背景には、快進撃を続けるダイエーの存在があった。1957年に創業したダイエーは同年、大阪・千林に1号店を出店。15年後の1972年には百貨店の三越(現三越伊勢丹)を抜いて小売業界首位の座に上り詰め、時代の寵児として脚光を浴びた。1963年、全国展開を見据え売上1000億円ビジョンを発表し、同年福岡県に出店。翌年には一徳(東京都)を買収し首都圏に進出したほか、四国ダイエーを設立し四国に進出した。

 1968年には首都圏に攻勢をかける戦略を発表した。首都圏では、西武百貨店が1963年に設立した西友ストアー(現西友)が出店攻勢をかけており、ダイエーと並び称される存在だった。「西のダイエー、東の西友」と言われた両雄は東京・赤羽で激突し、熾烈な競争を繰り広げた。

 西友ストアーは同じ西武百貨店系の食品スーパー、マイマートを1969年に吸収合併し首都圏の店舗網を拡充。一方で地方にも進出し、1970年西友ストアー関西を設立し翌年にコマストアーと合併したり、1971年に魚力と共同出資で西友ストアー長野を設立したりした。

 先頭を走っていたダイエーに遅れまいと後に続く企業にとってM&Aは有効な手段だった。売上規模をひたすら追い求めるチェーンストアは巨大化の道を歩み始め、流通業界の勢力図を塗り替えていった。

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