発明難の時代

2015/01/19 00:00
Pocket

「必要は発明の母」と言われる。

 その意味からすれば、子供のころから衣・食・住・遊・休・知・美と「なんでも揃っている」現代は、発明難の時代と言えるかもしれない。

 

「なんでも揃っている」ゆえの象徴的な行為は、コピー&ペースト(コピペ:パソコン上で文字をコピーし、別の場所に貼付ける行為)だろう。

 自分の言いたいことが、すでにネット上に書かれて揃っているのだから、使わない手はないはない、とばかりに学生の論文はもちろん、企画書や手紙まで、コピペが横行している。

 これを見破るために「剽窃チェッカー」なるサイトも現れるほどだ。

http://plagiarism.strud.net/

 

 ある大学では、レポートでコピペが発覚した場合には、6か月の停学を命じられるそうだ。

 

 ただ、そもそも論文とは、あるところ引用(=コピペ)のオンパレードであり、剽窃との違いは、出典を記すかどうかだけの話。だから「コピペに罪悪感を持て」と言われることに違和感を覚える者も少なくないのかもしれない。

 

 しかしながら、新しいことを発明(発見)した人の血のにじむような努力については、やっぱり敬意を表したい。

 発明王のトーマス・エジソンは、妻の顔と名前を忘れてしまうほど、研究に没頭したというエピソードを残す。

 ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんは、メモを枕元に置いて寝た。四六時中考え抜くことで、中間子理論にたどり着いた。

 発明(発見)するとは、実に大変なことなのである。

 

 さて、私の結論としては、「なんでも揃っている」のであれば、先達の知恵は、出所を記すことを前提に使ってもまったく構わないと思う。

 ユニー(愛知県)の中興の祖の一人である家田美智雄さんは「社会人はカンニングしても構わない」という名言を残した。

 ただ、それだけが恒常化して身についてしまうと、何かを生み出す能力が退化し、ひいては、世の中が閉塞化していく恐れがあることも考えなければいけない。
 

© 2024 by Diamond Retail Media

興味のあるジャンルや業態を選択いただければ
DCSオンライントップページにおすすめの記事が表示されます。

ジャンル
業態