ユニー中興の祖 西川俊男さん逝く
ユニーグループ・ホールディングス(愛知県/中村元彦社長)の中興の祖であり、特別顧問の西川俊男さんが2015年1月1日に急性心筋梗塞のため死去した。89歳。
西川さんは、1925年(大正14年)、「はき物店」を営む西川長十さんの三男として愛知県名古屋市中川区に生まれた。
1945年に岐阜薬学専門学校(現:岐阜薬科大学)を卒業後に日本薬化学に入社。1949年、長十さんが設立した西川屋に入社、取締役に就任。1959年の伊勢湾台風の反省をもとに、兄の義雄さんとともにチェーンストア化を志向する。
チェーンストア経営については、西川屋(愛知県)、ダイカイ(三重県)、ハトヤ(大阪府)、いづみや(大阪府)、フタギ(兵庫県)、福屋(岡山県)の6社で結成した勉強会の「大成会」(後の日本ダイナミックチェーン〈NDC〉)や東レサークル、HH販売能率推進本部の成瀬義一氏が主宰する「成瀬会」などに学んだ。
1963年に西川屋チエンに商号変更し、取締役。1969年にマルサン(長野県)、銀杏屋(三重県)と合併。1970年4月に代表取締役副社長に就任。
1971年にほていや(神奈川県)との合併により、ユニーを設立。取締役副社長に就任する。ユニー(UNY)は、「マーチャンダイジングとマーケティングの接点となるユニークな流通企業」(西川さん)を目指し、「ユニーク(unique)」「ユナイト(united)」「ユニバーサル(universal)」「ユニティ(unity)」「ユニファイ(unify)」の語感を反映させた造語として社名としたものだ。
1976年、名古屋証券取引所に上場。同年、ユニー代表取締役社長に就任すると、1年間で17店舗をスクラップするなどのリストラの大鉈をふるった。
その後、「ユニーの森」を提唱し、食品スーパー(ユーストア)、専門店(さが美)や外食産業やサービス業への多角化を進め、企業規模拡大に奔走した。香港への進出やコンビニエンスストアのサークルKを日本に持ち込みチェーン展開に成功した。
さらには、ドーナツショップやテレホンショッピング(無店舗販売)にも早くから目をつけ、事業展開をスタートさせている。
1990年に代表取締役会長、1993年に取締役会長に就任。1997年に名誉会長に就き、経営の第一線からは退いた。
公職としては、1980年5月から1984年5月まで日本チェーンストア協会会長を務めた。
西川さんの経営の特徴を一言で評するならば、何にでも飛びつく「新しがり屋」。「今日からスタート」の言葉を好み、過去の経験にとらわれない自由な発想を醸成できるように自分を戒めた。
なお、「お別れの会」は2015年2月11日(水) 14時~15時 ウェスティンナゴヤキャッスルで執り行われる。
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