『炎のランナー』を聴いて考えた
感動の嵐に包まれたロンドンオリンピックの閉幕から早1週間が経過した。日本のメダル獲得数は38個と2004年アテネオリンピックを超え、過去最高。昨日は銀座で凱旋パレードもあり、50万人を集めて大盛り上がりだった。
引き続き、8月29日から始まるパラリンピックでの日本選手の活躍も期待したいところだ。
ところで、私がロンドンオリンピックで最も印象的だったのは、「2002FIFAワールドカップ(日韓共催)」のアンセムを作曲したことでも知られるヴァンゲリスさんの『炎のランナー(Chariots of Fire)』のテーマ曲だ。
開会式でローワン・アトキンソンさんが演じるミスタービーンらがコメディタッチの演奏を見せてくれて以降、表彰式のBGMなど各所で流れており、本当に格好よかった。
第54回アカデミー賞作品賞を受賞した『炎のランナー』の公開は、1981年だから、もう発表からは30余年が経過。古い楽曲を大切に使っているようで好感も持てた。
ちなみに30年前に日本でヒットしていた曲(オリコン集計)は、と言えば、『ルビーの指環』(寺尾聰)、『奥飛騨慕情』(竜鉄也)、『スニーカーぶる〜す』(近藤真彦)、『ハイスクールララバイ』(イモ欽トリオ)、『長い夜』(松山千春)、『大阪しぐれ』(都はるみ)、『街角トワイライト』(シャネルズ)、『恋人よ』(五輪真弓)、『チェリーブラッサム』(松田聖子)、『守ってあげたい』(松任谷由実)といったところ(カッコ内は歌い手)。NHK『思い出のメロディー』で流れるような、懐メロばかりだ。
大量生産大量消費よろしく、日本では、流行歌もまた、数多くつくられ、数多く消費されていったのである。
そして、もし今回のオリンピックが日本で開催されていたらどうだったろうか、と想像をめぐらせてみた。
おそらくは、新しいテーマソングをオリンピック向けに制作していたことだろう。
なぜなら、日本は『東京五輪音頭』(1964)に始まり、大阪万国博覧会では『世界の国からこんにちは』(1970)、札幌冬季オリンピックでは『虹と雪のバラード』(1971)、神戸ポートアイランド博覧会では『ポートピア』(1980)、長野冬季オリンピックでは『イレ・ア・イエ~WAになっておどろう』(1998)…さらには2000年に開かれた沖縄サミット(先進国首脳会議)のテーマソングも、故小渕恵三首相(当時)が小室哲也さんに直接電話依頼してつくってもらった『NEVER END』だったからだ。
日本は、流行歌のみならず、明治維新以来、常に新しいものを追い求め続けてきたようなところがある。
欧米列国に追いつけ、追い越せとばかりに、新しいことはいいこととばかりに、古いものを顧みることなく、前のめりでキャッチアップに注力した。
その結果、多くの物事を「使い捨て」しながら現在に至ってしまった。
ただ、同じ日本でありながら、古いものを大切にしているエリアもなくはない。
たとえば関西圏だ。
関西圏の喫茶店や居酒屋などで流れる音楽は、30年~40年を経たものも少なくなく、「なんでこの曲がいまここで流れるの?」と思うほどにレトロな雰囲気を味わうという経験を何度もした。
この傾向を漠然と、「近くに歴史ある街があるため」と考えていたけれども、ロンドンとの対比で考えるなら案外、間違っていないのかもしれない。
とするなら、明治維新以来、新しいものを追い求め続けてきたのは、日本だったのではなく、東京的な価値観だった、と言えまいか。
そして東京も、すでに新興都市ではなく、成熟に向かって突き進んでいる。
その意味では、一心不乱に新しい物事に専心することを見直し、温故知新に努めてもいい時期なのでは、と感じる。過去を見つめなおせば、そこに思いもよらぬ資産が宿っているかもしれないのである。
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