『三国志』に見るリーダーシップのあり方
2009年は映画『レッドクリフ Part1』『レッドクリフ Part2』が空前の大ヒットを記録した。
この原典である『三国志』について、作家の故吉川英治さんは、「曹操に始まって孔明に終わる二大英傑の成敗争奪の後を叙したもの」と言及している。この両雄の存在とは多士済々が登場するこの一大絵巻において、それほどまでに大きいということなのだろう。
確かに『三国志』のなかでの曹操の活躍ぶりは、『レッドクリフ』でも描かれているように目を見張るべきものがある。吉川さんは「その電撃的な行動や多感な情痴と熱においても、まことに英雄らしい長所と短所の両面を持っていて、『三国志』の序曲から中編までの大管弦楽は、彼の姿によって奏されるというも過言ではない」と評している。
しかしながら、曹操と同時代を生き、壮絶なまでの覇権争いを演じた蜀の劉備の方がいつも魅力的に映るのはなぜだろうか?
劉備は時空間を超え、いまなお多くの人々を魅了し続ける。
かくなる私も劉備ファンの一人であり、曹操が勇躍し、劉備を苦境に陥れるたびにいまいましさと憤りを覚えたものであった。
なぜ、そうなのかを私なりに分析してみると、曹操の執権には常に“力”の存在があり、劉備の場合は、“徳”があったことに関係があるような気がする。
劉備の行為には、いつも人間臭さがついてまわる。
桃園で義軍を起こしたときにも、関羽、張飛との間に“義兄弟”の契りを結んでいるし、蜀に孔明を迎える際にも、“三顧の礼”をもって、その熱意を形にしている。
リーダーの条件とは、曹操の“力”と劉備の“徳”のどちらも兼ね備えていることが望ましい。ところが2つを併せ持つことは、歴史が証明するように至難の業といえるだろう。
また、両者の優劣はいちがいに語れるものではないし、最終的には個人の好みに行きつくのかもしれない。
ただ、“力”による支配では人の心を奥底からつかむことが難しい。やはり、“徳”なき権力者は、永続的に人々からの支持を得ることができない。
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