桑田さんへのお見舞い
サザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』を初めて聞いたのは中学2年生の林間学校前夜。『南こうせつのオールナイトニッポン』の番組中にかかったのが最初だ。
「元気のいいバンドがでてきたもんだ」とオイちゃんこと南こうせつさんは感想を述べ、これまでの楽曲とまったく異なるスピード感やメロディに聞き取れないほど詰め込まれた歌詞は、坊主頭の中学生に衝撃をもたらした。
それ以来、サザンの新作が発売されれば、真っ先にレコード屋に飛び込み、購入して、カセットテープにダビングして、ウォークマンでテープが擦り切れるほど聞きまくった。
だから、どのLPの楽曲の順序も覚えているし、ほとんどの作品をそらで歌うことだってできる。
人生の節目節目にサザンがあった。
『Kamakura』が売り出された年に彼女と別れた。だからその年は1985年、と思い出せるように1970年代後半から2010年代に至るまでサザンは常にBGMとして流れていた。
サザンは、私たちの世代を常に激励して幸福を与えてくれた。音楽業界にいまほど用心深くなかった私たちにとって、それはとても自然なことだった。
そのほとんどの楽曲をつくってきた桑田佳祐さんが、食道がんに罹患していることを公表した。「ステージ1」の初期段階とのことなので、それほど問題はないという観測が支配的であり、手術成功の朗報ももたらされているが、桑田さんとともに人生を歩んできた人間にとっては気が気ではない。
忌野清志郎さん、加藤和彦さんとこのところJ-POP創世の旗手たちを失い続けているが、桑田さん、あなたはまだ早い。必ず、よみがえってきてほしい。
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