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橋田壽賀子脚本の名作『おしん』のモデルといわれる2人の女性スーパーマーケット創業者

「橋田壽賀子脚本ドラマの代表作は?」の問いに『おしん』を挙げる人は少なくない。
 1983年にNHK総合テレビで初放映されたこの作品に戦前戦後を問わず多くの日本人が胸打たれ、それぞれの思いにふけった。『おしん』はその後、日本を飛び出し、アメリカ、中国、インドなど約70の国と地域で放映され、アジア各国の人々も感動の渦に巻き込んだ。

ドラマ『おしん』の舞台となった山形県の銀山温泉(Photo by onsuda)

日本一高い熱海市の物価引下げに奔走した和田カツさん

  おしんのモデルといわれているのがヤオハン創業者和田カツさんだ
 カツさんは明治39年、神奈川県小田原の生まれ。昭和3年に静岡県熱海市の露木旅館の軒下を借りて、青果商を営み始めたのを振り出しに、昭和23年、八百半商店を設立。順調に商売を進めるも、昭和25年4月、熱海市の3分の1を焼いた大火で店舗は全焼し、また振り出しに。それでも歯を食いしばってヤオハンをなんとか立て直した。
 49歳の時に「商業界」主催の箱根ゼミナールに参加して、ベニマル(現:ヨークベニマル)の実践に深い感銘を受けると、翌年にはただちに現金正札販売を断行した。日本一高いと言われた熱海市の物価を引き下げることに努め、大きく貢献し、ヤオハンが世界へ雄飛するための礎を固める役割を果たした。

ヤオハン創業者 和田カツさん

 日本で成功を遂げたヤオハンはその後、次々に海外進出を果たし、カツさんは現地従業員の教育係として、その発展を陰日向から支えた。
 だが、カツさん亡き後のヤオハンの末路は哀れなものだった。1996年、世界市民企業グループ八佰伴と名を変え、中国上海に本部を移し、虎視眈々とアジア市場を狙ったものの、放漫経営が災いして、1997年9月に会社更生法の適用を申請し事実上の倒産と相成った。
 とはいえ、カツさんが残した偉業はそれで霞んでしまうわけではない。
 ヤオハンは現在、マックスバリュ東海(静岡県/神尾啓治社長)として独自の存在感を見せている。

女性8人でスーパーマーケット経営に乗り出した女傑

 もうひとり。『おしん』にはモデルがいたといわれる。おしんは、佐賀県に嫁ぎ、ひどい嫁いびりを受ける。
 佐賀県佐賀市にスーパーマーケット/ハロー(現マックスバリュ九州)を興した牛島國枝さんがその人だ。
 生まれは明治44年。15人の友人を集め、読書グループ「菱の実会」で活動を続ける中で、偶然目にした「主婦の店」の記事に感化され、スーパーマーケットの経営に女性8人で取り組んだ。昭和33年に1号店を出店以降、着実に成長を重ね、北九州では屈指の小売企業に育て上げた。

スーパーマーケット/ハロー(現マックスバリュ九州)を興した牛島國枝さん

 牛島さんは経営者と同時に政治家としての顔も持つ。佐賀県市議会議員や佐賀県県議会議員を歴任。昭和49年には藍綬褒章を昭和55年には勲4等瑞宝章をそれぞれ受けている。
 実は、牛島さんには2度お会いしたことがある。1度目は『チェーンストアエイジ』誌(現:『ダイヤモンド・チェーンストア』誌)に自叙伝の連載をお願いに行った時。もう一度は、『チェーンストアエイジ』誌の特集企画「むかし主婦の店があった」(1996年6月1日号)の取材時である。
 話を伺っていると、小柄な体型には似つかわしくない凛と通った筋を感じた。
 そのことを率直に申し上げると「実は5年前に骨折して針金が3本身体に入っている。だから筋金入りなんです」と笑ってみせるようなユーモアの持ち主だった。
 自叙伝用にカメラを向けると、その場の撮影を拒み、「実は、事前に撮影したものを用意しました」と女性のかわいらしさも備えている人だった。

 流通業界の黎明期には、橋田壽賀子さんの心と筆を動かすような女傑たちがたくさんいた。