北海道現象から20年。経済疲弊の地で、いまなお革新的なチェーンストアがどんどん生まれ、成長を続けている。その理由を追うとともに、新たな北海道発の流通の旗手たちに迫る連載、題して「新・北海道現象の深層」。第5回は、小売業界のなかでもっとも寡占化が進むコンビニ業界で唯一「規模の経済」とは別次元で競争し、勝ち組となっているセコマに焦点をあてる。変化対応を是とするセブン-イレブンを上回る、変化を先取りする力がセコマにはある。
王者セブン-イレブンがどうしても勝てない
東京に勤務していた2年前、信州方面をドライブしていた時のことです。以前にネットで知った情報をふと思い出し、上田市の上田東高校を訪ねると、やはりその石碑は校舎前に堂々と立っていました。
「変化対応」と刻まれた石碑は、同校OBでセブン-イレブン・ジャパン創設者の鈴木敏文氏(現セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問)が寄贈したものです。母校に贈る石碑の文言に選ぶぐらいですから、鈴木氏にとって、まさに座右の銘なのでしょう。
鈴木氏の著書「変わる力」(朝日新書)にこんなくだりがあります。<セブン-イレブンが常に業界の先駆者でいられるのは、小さな変化さえも見逃すことなく対応しつつ、組織も、社員たち自身も、柔軟に変わっているためです。お客様の生活拠点として「便利の創造」を続けるセブン-イレブンは、まさに「変化対応業」と言えるのです>
正直、最近の24時間営業見直し問題や、「7pay」の廃止に至ったトラブルへの拙い対応を見ると、鈴木氏自慢の「変化対応業」にも少々かげりが見えてきたと感じます。とはいえ、商品力の高さや1坪当たりの売上高は、コンビニ業界の中で相変わらず群を抜いている。世の中の「小さな変化さえも見逃すことなく対応し」続けた蓄積が、セブン-イレブンの店舗力の源泉なのでしょう。
そのセブン-イレブンをして、どうしても勝てないコンビニが北海道にあります。札幌のセコマが展開するセイコーマートです。7月末現在の店舗数はセコマ1092店に対し、セブンは1011店。セブンの北海道進出は1978年で、すでに41年がたちますが、これほど長きにわたり地場コンビニの「抵抗」に遭っている地域はほかにありません。
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コンビ二大手の取り組みを10年以上先取りするセコマの先見性
コンビニ大手の取り組みを10年先取り!
セコマの強さを最も表しているのが、出店市町村の数です。道内179市町村中173市町村に店があり、北海道の総人口の99.8%をカバー。店舗数ではいい勝負をしているセブンも出店市町村数は120にすぎません。セブンが店を出せない過疎地や離島でもセコマのオレンジ色の看板を見つけることができる。北海道において「お客様の生活拠点として『便利の創造』を続ける」コンビニはまぎれもなくセコマなのです。
セコマは、サービス産業生産性協議会主催の2019年度顧客満足度調査(コンビニ部門)でも、セブンを抑えて4年連続のトップに選ばれています。なぜセコマはこれほど支持されているのでしょうか。その理由は、セブンの「変化対応」のさらに上を行く「変化を先取りする力」にあると私は考えています。
道外の人が初めてセコマの店に入って驚くのが、プライベートブランド(PB)商品の豊富さでしょう。同社が「リテールブランド」と呼ぶ自社開発商品は、加工食品、酒・飲料、日配品、総菜、冷食、菓子、日用品にまで及び、すでに1000種類を超えています。さらに驚くのが価格設定で、500mlペットボトルのお茶が1本100円、おにぎりが1個100円、小分けの総菜が1パック100円…。「100円ショップ?」と言いたくなる安さです。
もう一つの特徴が、丼物などを店内調理する「ホットシェフ」のコーナーで、できたてのカツ丼や豚丼が540円(店によって変動あり)とこちらも安い。北海道には商店や飲食店が成り立たないような過疎地が数多くあり、セコマはそうした地域の住民にとってのライフラインの役割を果たしているのです。
セコマがリテールブランド商品を初めて投入したのは95年、ホットシェフの展開を始めたのが94年のことでした。セブン&アイのPB「セブンプレミアム」の登場が07年、ローソンの店内キッチン「まちかど厨房」の登場が11年ですから、大手の取り組みを10年以上先取りしていたことになります。
日本のコンビニは、もともと24時間営業の利便性で成長してきた業態です。90年代は店を出せば売れる時代であり、商品やサービスはいたって普通でした。大手チェーンが独自商品の開発や多様なサービス展開に力を入れ始めるのは、21世紀に入り、店舗数が飽和状態になってからのことです。
そうした中で、セコマは大手チェーンが10~15年後に後追いするサービスに着目していたわけです。さらに興味深いのは、24時間営業は当初から重視しておらず、全店の2割程度に過ぎないということです。現在、他のコンビニが頭を悩ましている24時間営業問題はもともと存在していないことになります。
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セコマがPB開発を進めた、“意外な”事情とは!?
日本初「コンビニエンスストア」を掲げたのはセコマだった
こうした「変化を先取りする力」は、創業者である故赤尾昭彦氏の手腕によるところが大きい。そもそも赤尾氏がコンビニという業態に着目したこと自体、大手の動きを先取りしたものだったのです。
71年、札幌の老舗酒類卸・丸ヨ西尾の社員だった赤尾氏が、得意先の酒店の経営支援策として立ち上げたコンビニ事業がセコマの原点です。当時の道内は、コープさっぽろを筆頭にスーパーマーケットが台頭し、個人酒店は窮地に立たされていました。
<小規模ながら科学的な経営で成長している米国の新業態「コンビニエンスストア」>-。赤尾氏は職場で偶然目にした雪印乳業の広報誌の記事をヒントに、独力で情報を集め、酒店の店主にコンビニへの転換を呼びかけます。
そして71年8月、札幌市北区の酒店が店舗改装を機に「コンビニエンスストア はぎなか」をオープン。これが記念すべきセコマの1号店です。日本で「コンビニエンスストア」の看板を掲げたのは、恐らくこの店が最初でしょう。セブンが東京・豊洲に1号店を出すのは、その3年後のことになります。
セコマがPB開発を進めた“意外な”事情とは!?
コンビニの立ち上げで一歩先んじたセコマは、その後もセブンの成功事例を後追いしようとはせず、独自のビジネスモデルを築き上げていきます。そこには北海道ならではの事情もありました。
「専門業者の少ない北海道では、何でも自分で考えてやらざるを得ない」。赤尾氏は社長時代の04年、「チェーンストア・エイジ」(現在の「ダイヤモンド・チェーンストア」)の取材にそう述べています。
赤尾氏は「中小酒店の経営が苦しいのは、スーパーに比べて商品力が劣っているからだ」と考えていました。しかし、日本の最北にあり、広大かつ人口の少ない北海道は、力のあるメーカーや問屋が少なく、協業によって商品力を高めることは難しい。
そこで赤尾氏は、技術力はあるが、大手メーカーとの競争に苦戦する地場中小メーカーを傘下に加えるなどして、リテールブランド商品を自社製造する態勢を整えていきました。併せて00年前後には道内6カ所に自前の物流センターを建設。製造、物流、販売を一気通貫で手掛けることよって、全体でコスト競争力を高める仕組みをつくり上げたのです。道内全域に店舗を張り巡らし、格安の自社開発商品を供給できる理由がここにあります。
北海道の過酷な環境を逆手に取る発想は、現在の丸谷智保社長に代替わりしても変わりません。その一つが店舗の直営化です。人口減と高齢化が急速に進む北海道では、コンビニ経営者の後継者難も他の地域以上に深刻です。かといってオーナーの引退とともに撤退してしまえば、ほかに頼れる店のない過疎地の住民が困ることになる。このため、本部がオーナーから経営権を取得し、店舗網を維持するという方法を進めてきました。その結果、直営店比率は全体の80%に達しています。
こう書くと、仕方なく直営店を増やしているように思われそうですが、決してそうではありません。先述した通り、セコマは製造から販売まで一気通貫のビジネスを展開しています。直営店の増加によって本部の商品政策が徹底され、発注精度が増すことによって、生産ラインが効率化するというメリットがあるのです。
1年前、北海道が大地震と全域停電(ブラックアウト)に見舞われた直後、セコマの各店はすぐに「ホットシェフ」のガス釜でコメを炊いて温かなおにぎりを販売し、ネット上で「神対応」と称賛されました。これも直営化効果の一つと言えます。契約書で縛られたフランチャイズチェーン(FC)店に、こうした臨機応変の行動を求めることはできません。
セブンなど大手コンビニチェーンの隆盛を支えてきたFCシステムは、人手不足による過重労働、出店過多による売り上げ低迷といった市場環境の悪化によって、曲がり角を迎えています。過酷な北海道市場を生き抜くために考え抜かれたセコマのビジネスモデルは、低成長時代のコンビニをまさに先取りしているといえるのではないでしょうか。