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業界一攻めてる!ドムドムバーガーを復活させた「常識にとらわれないマインドセット」とは

いちばん攻めてるハンバーガーチェーン」として、いま若い世代を中心に支持を集めているのがドムドムハンバーガーだ。“非常識”ともいえるメニュー開発やオリジナルグッズのECサイトなど、群雄割拠するハンバーガーチェーン業界の中で存在感を示している。

最盛期には400店舗を誇ったが、10分の1にまで減少し、一時は人々の記憶からも消えかけていたドムドム。それを救ったのが、ドムドムフードサービス(神奈川県)代表取締役社長の藤﨑忍氏だ。2018年に同社の社長に就任した藤﨑氏は「日本最古のハンバーガーショップ」をいかにして再生へと導いたのか? そこには、同氏の“ユニークすぎる経歴”にルーツがあった。

「丸ごと!!カニバーガー」の衝撃

丸ごと!!カニバーガー

 香ばしく揚がったソフトシェルクラブが丸ごとサンドされた「丸ごと!!カニバーガー」。20209月に期間限定で販売されると、カニのハサミがバンズから飛び出た見た目のインパクトがツイッターなどSNSで話題を呼び、990円(税込)という高額にもかかわらず大ヒットを記録した。

 「取締役会ではビジュアルやオペレーションの問題などが指摘され、猛反対された。でも、だからこそドムドムがやる意義がある、と思って押し通した」と、藤﨑忍氏は笑って当時を振り返る。

 他にも厚焼きたまごをそのまま挟み込んだ「手作り厚焼きたまごバーガー」、ポテト餅をてりやきビーフパティと合わせた「ポテトもちーズバーガー」、バンズ代わりにカマンベールチーズを用いた「丸ごと!!カマンベールバーガー」など……ドムドムの打ち出す斬新なメニューの数々は、時に「狂気」と評されるほど、コアなファンを虜にし続けている。

 マクドナルド、モスバーガー、ケンタッキー、ロッテリアなど群雄割拠する日本のハンバーガーチェーン市場の中で長く低迷し、一時は“絶滅の危機”に瀕していたドムドム。それが「いちばん攻めてるハンバーガーチェーン」と再び注目を集めるようになった背景には何があったのか? その謎を解き明かすために歴史を遡ってみたい。

 ダイエーグループが中内㓛オーナー(当時)の号令のもと、東京・町田にドムドムの1号店をオープンしたのは1970年。意外と知られていないが、実はマクドナルド(1971年)やモスバーガー(1972年)より古い、日本で最初のハンバーガーチェーンだ。

 最盛期の90年代には400店舗近くまで拡大。しかし、その後はマクドナルドなどの後塵を拝し、業績が低迷。親会社・ダイエーの経営不振も重なり、約10分の140店舗まで減少した。

店舗数を減らし、11店の“経営力”を鍛える 

「浅草花やしき店」グランドオープン時

 20177月、ダイエー傘下のオレンジフードコートから、事業再生を手がけるレンブラントホールディングスへと、ドムドムの経営権と36店舗が譲渡された。ここから、ドムドム再生の物語が始まる。

 レンブラントがドムドム再建の担い手として白羽の矢を立てたのが、東京・新橋の居酒屋経営で実績を挙げていた藤﨑氏だ。ドムドムに出向後、新商品開発や東日本地区のスーパーバイザー(SV)などを経て2018年に社長に就任した藤﨑氏。まず着手したのは「会議のやり方」だった。

 「経営会議では各地区のSVが数字を読み上げ、『達成できず申し訳ありません』と頭を下げるのが儀式のようになっていた。各店舗の数字は事前に共有されているので形式的な報告はやめ、その代わりに意見を言い合える環境を作った」

 他にも「1日の様子を知らない、遅番のアルバイトが書いているのが実態」だった日報を廃止し週報のみに簡素化。その代わり、PLや原価率など経営数値の報告、クリンリネス、提出書類のファイリングといった、飲食店経営の「イロハのイ」を各店舗には徹底させた。

 同時に、店舗数や組織もスリム化を図った。新店舗開発は凍結し、不採算店舗の契約更新も見送るなど、譲渡時の36店舗からさらに27店舗まで減らし、あわせてSV職も減員した。店舗数を絞り込んだうえで、まずは11店の“経営力”を鍛えることに専念した。

イベント出店、オリジナルグッズ……業界の「常識」を超える

3人での商品開発の様子

 並行して取り組んだのが、「カニバーガー」に象徴されるユニークな商品開発だ。「社内の試食会でたくさんの意見を聞いていては尖ったものができない」との考えから、開発体制は藤﨑氏を含む2人と最小限に絞った(後に1人追加)。ここから、いい意味で“常軌を逸した”メニューが次々と世に出ていく。「ドムドムが、今おもしろい」と世間の認知が少しずつ広がっていった。

 とりわけ、取締役会の反対を押しきって商品化した「カニバーガー」の大ヒットは、「社内へのインパクトも大きかった」と藤﨑氏は振り返る。

 「業界の常識にとらわれずにチャレンジをしていいんだ、という社内へのメッセージにもなった。同時に、チャレンジをし続ければドムドムは必ず復活する、という社内の意思疎通ができていった」

池尻大橋のポップアップストア

 「カニバーガー」が社内にもたらした「常識にとらわれない」マインドセット。それは、商品開発以外にも広がっていく。

 外部のイベントへの出店がその一例だ。店舗数が少なく、かつ店舗面積も小さいドムドムでは「店舗以外にも多くの消費者とのタッチポイントが必要」との考えから、積極的に地域のイベントにキッチンカーを出している。

 また、さまざまな企業や施設とのコラボメニュー開発にも積極的に対応。「浅草花やしき店」では「浅草コロッケバーガー」、「市原ぞうの国店」では地元・千葉の名産、味噌ピーナッツを使った「味噌ピーチキンバーガー」などの限定メニューが並ぶ。

 オリジナル商品のECサイトも、他のハンバーガーチェーンでは類を見ない。オリジナルキャラクター「どむぞうくん」のぬいぐるみやTシャツ、マグカップなどのグッズは根強いファンも多い。

 オリジナルグッズのきっかけは、多くの飲食店が大打撃を受けたコロナ禍だった。マスク不足が深刻化した2020年、スタッフ用に作った「どむぞうくん」のマスクを「社会貢献のつもりで」レジ横に無償で置いた。すると、そのツイートに5万を超える「いいね!」がついたのだ。

 ファンの声に応えてそのオリジナルマスクを限定販売したところ、「各店舗に長蛇の列ができてしまい、密を回避しなければならないのに密を作ってしまった」と藤﨑氏は頭をかく。店頭販売をストップし、10日でECサイトを立ち上げた。今日では、EC部門の売上は全体の7パーセントを占めるまでに成長している。

「こだわりを捨てる」と「思いやり」の両輪経営

従業員のアイデアバーガーを表彰する

 従来のハンバーガーチェーンの枠にとらわれない、自由でチャレンジングな取り組みの数々。そこには、藤﨑氏自身のキャリアにルーツがある。

 21歳で結婚してから専業主婦一筋。39歳で渋谷・109のアパレルショップの店長になるまで就業経験がなかったという、「異色」の2文字では説明しきれない“ユニークすぎる経歴”を持つ。

 「109のギャル店員は、見た目が派手で言葉づかいも時に悪く、夜遊びすることもある。でも、一緒に働いてみると実はやさしくて一生懸命。物事を多面的に見ることで『こだわり(固定概念)を捨てる』ことの大切さは、彼女たちが教えてくれた」

 実はドムドムにも、もともと自由闊達な組織風土があった。現在も主力商品の「お好み焼きバーガー」は、実は40年も前からあるメニュー。日本発のハンバーガーチェーンとして、日本人の食文化を取り入れた独自の商品開発を古くから行っていたのだ。そのDNAが、藤﨑氏の「こだわりを捨てる」経営方針とうまく化学反応したといえよう。

 「新店舗のご相談はひっきりなしに頂く」と語る藤﨑氏。業績が好転してからは新店舗開発も解禁し、現在の店舗数は28店舗。それでも「規模の拡大を目指すつもりはない」と言い切る。

 「成長戦略なども考えていない、というかよくわからない。それよりも『お客さまと従業員にとってハッピーであるかどうか』がいちばんの判断軸」

 今も多忙な合間をぬっては店舗に赴き「いつもありがとう。ヘンな商品ばかりで大変だね」とアルバイトスタッフをねぎらうという藤﨑氏。長年の専業主婦の経験から生まれたその心遣いが、スタッフのエンゲージメントを高め、アルバイトから社員に転身する例も少なくない。

 「お客さまやスタッフがどう思っているのかを推測し、どうすれば満足させられるかを突き詰めて考える。その『思いやり経営』が会社の指針になっている」

 「カニバーガー」でヒットを打ったとしても、オペレーションが回らずにスタッフが不満を持っていては長続きしない。経営の根底に「思いやり」があってこそ、大胆なチャレンジを続けられるのだ。「こだわりを捨てる」と「思いやり」の両輪経営で、これからもドムドムは私たちを驚かせてくれるだろう。