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ナショナルブランドではなく……セブン-イレブンはなぜ「ストアブランド」中心の品揃えなのか

お客を「見る」とは何か

 われわれは、店舗がお客を「見る」ことができるきわめて限られた施設であることに気づいていない。

 もちろん、小売業の店もお客を見ることができた。だが小売業は、「お客さま第一主義」という精神論を掲げるだけで、店舗でお客を見るということを、「接客」という販促手段としてしか用いてこなかった。

 小売業の次に現れた流通業は、チェーン理論によって「画一売店チェーン」を実現した。品揃えを画一化すれば、個々の店舗のお客は「見えなくなる」。多数の店を展開するチェーンでは、商圏が限定されるので、近隣の住民が繰り返し来店する「カスタマー」の動向を見ることができたが、それは無視された。

 このことは、アマゾンのような全国を対象にする店舗を持たない流通業、あるいは配達サービス、無人店舗、店舗ピックアップなどと対比すれば明らかである。私はアマゾンや配達サービスを多用しているが、私の顔は見られたこともなく、私は一片の数字データにすぎない。

品揃えを画一化すれば、個々の店舗のお客は「見えなくなる」(i-stock/maroke)

 これと同じことが全国の消費者を対象にするナショナルブランド(NB)製造業についてもいえる。彼らもお客は見えず、お客はあくまで「データ」であり、さまざまな細かなデータ分析、たとえば客層分析などが行われるにしても、お客の顔を実際に見たものはいない。見たとしても、それはあくまで調査上のサンプルである。

 画一売店チェーンがお客の顔を見なくなった理由も、この製造業の論理を採用したことによる。品揃えはマーチャンダイザーが画一的に決め、店舗はお客の顔を見るところではなく、コストダウンするところになった。だが小売業はチェーン化することで大企業になり、流通業になった。

 チェーンの勃興は時宜に適ったものであった。品揃えの画一化はむしろ、お客の望んだことである。当時のお客は生活の大衆化を切望していたからだ。だが「セブン-イレブン」という個店経営チェーンが出現したことで事態は

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