[東京 2日 ロイター] – 日経平均株価が約30年半ぶりに3万円を回復したにもかかわらず、東京都日本橋兜町・茅場町界隈では、かつてのようなにぎわいはみられない。人通りは少なくなり、飲食店は新型コロナウイルス禍も加わって、厳しい営業を強いられている。1980年代のバブル景気を知る飲食店に、今と当時との違いを聞いた。
「元気がなくなった」
茅場町の霊岸橋近くにあるダイニングバー「Wall Street」は、バブル景気真っ盛りの1989年にオープン。オーナーの井上賢一さんは、店が満席で入店を断ったにもかかわらず、レジで1杯5500円の高級スコッチウイスキー、バランタイン30年物を注文した人が忘れられないという。
「当時の証券マンは朝早いが、午後3時頃には仕事を終えてオフィスの外へぞろぞろと出てきてお酒を飲み始めていた。みなさんはいわゆる肉食系。場立ちの人がいなくなってからは町を歩く人の数が激減。声を張り合う人たちがいなくなり、町の元気がなくなった」と井上さんは振り返る。
昭和26年創業の割烹料理屋「辰巳」では、常連客が「ボトルキープ」ならぬ「現金キープ」をしていたという。店主の津田昌彦さんは「週のはじめに10万円をお店に預け、足りない分を補充していくスタイルの人が多かった。みんな現金で支払い領収書をもらっていかなかったので、個人のお金だったのではないか」と話す。
同店では、株価が下がると天ぷらを頼む人もいた。兜町や茅場町では、うなぎや、天ぷら、焼き鳥を扱う飲食店が多い。「うなぎ登り」、「飛ぶ鳥を落とす」、「天ぷらを揚げる(上げる)」として、ゲン担ぎをする証券マンに長年親しまれている。
「30年ぶりの高値と言われても、ピンと来ない。コロナ禍で失業者が増えたり、倒産が増えたり、という中で、なぜ日経平均だけが上がっているのか分からない。あのバブル景気のときと今とでは感覚が違う。当時は、証券マンが多くて人口もすごかったが、今は場立ちさんもいないし人も少ない」と津田さんは当時との違いを指摘する。
証券業界は8万人減少
日本証券業協会のデータによると、証券業界の従業員数が最も多かったのは1991年6月末時点の17万0076人(役員を含む)。2020年12月末時点では8万9958人と、8万人以上減少している。証券会社の営業所数も、1991年末時点では3297店だったのに対し、2020年末時点は1807店となっている。
2020年12月末時点での全国証券会社数は269社と、1991年末時点での267社からやや増えているものの、兜町や茅場町を含む日本橋を本店所在地とする証券会社は53社から37社へ減っている。
株の取り引きがデジタル化され、効率化が進んだ面もあるほか、証券会社の所在地も今は兜町だけではなく分散化している。証券業界の従業員数や営業所数の減少が東京株式市場の衰退を示すとは一概には言えない。
新人時代を兜町で過ごしたSMBC日興証券の投資情報部部長、太田千尋氏は「東京証券取引所を行き来する場立ちの人たちがいなくなった今、証券会社を兜町に構える必要はなくなった」と指摘する。「リーマンショック後の日本企業の体質強化は目覚ましかった。日本株もようやく評価されてきたと実感する」という。
ただ、当時との違いを指摘する声は依然として多い。「30年前は、日本はライジングサンと呼ばれ、米国に迫る勢いがあった。世界の時価総額の上位に日本企業の名前が並んだが、今や見る影もない。世界の株価の上昇にともない、ウエートリバランスで買われているだけだ」(ケイ・アセット代表の平野憲一氏)との声も聞かれる。
コロナで逆風、対応強いられる飲食店
創業56年の「ニューカヤバ銘酒コーナー」は、昭和時代の面影を残すレトロな居酒屋だ。酒類は自動販売機で購入、焼き鳥も炭火炉でセルフで焼く、安価で親しみやすいスタイルを長年続けている。
オーナーの服部洋子さんは「不景気のときに客足が増えた気がする」と振り返る。「日経平均3万円の実感はない。株をたくさん買う人は景気がいいと思うのかもしれないが、庶民はそうではない。むしろ生活に不安を感じる人のほうが多いのではないか」と話す。
新型コロナウイルスの感染拡大以降、飲食店は時間営業短縮のほか、感染対策を強いられている。前出の「Wall Street」では、ソーシャルディスタンスを保つため、客席間の距離を確保したほか、テーブルの上にも高めのアクリル板を設置。換気をよくするため、窓の工事や地下の換気設備も一新する対応を取った。
「やれることはすべてやったつもり。息子がリモートワークをやっているが、いろいろと大変そう。コロナでストレスを抱えた人を受け入れられるような店にしたい」と、オーナーの井上さんは話している。