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第2次からあげブームは2つの専門店の東京進出から始まった!=連載:深掘りすれば見えてくる

からあげといえば、かつてはお弁当のおかずの定番として親しまれていたものだが、今や味にこだわる専門店が続々と誕生し、からあげの“聖地”も存在するほどだ。とくに近年のからあげ人気には目を見張るものがあり、寿司や天ぷらに続く国民食としての地位を獲得。日本の食文化に大きな影響を与えている。そこで今回は、子供から大人まで幅広い世代から愛される「からあげ」にスポットを当てる。

そもそもからあげとは何なのか? いつ、誰によってつくられ、どのような経緯をたどって、現在のような発展を遂げたのか? からあげの定義を知り、歴史を探るために、一般社団法人 日本唐揚協会(以下、日本唐揚協会)専務理事の八木宏一郎氏に話を伺った。 

一般社団法人日本唐揚協会専務理事 八木宏一氏

高度経済成長期に第1次からあげブーム到来

 日本唐揚協会とは、2008年10月に設立されたからあげの愛好者団体だ。からあげの地位向上をめざす活動に取り組み、からあげイベントの開催や商品開発への協力・プロデュース、「からあげマップ」の作成、からあげの情報発信などを担う「カラアゲニスト」と呼ばれる人材の育成などを行っている。

 八木氏によれば、同協会におけるからあげの定義は次の条件を満たしたものだという。「①一般的には鶏肉は多いものの、食材は問わない、②下味をつけるのが一般的だが、下味はなくてもいい、③食材に粉を薄くまぶしてある。ただし、パン粉はフライとなるので除く、④油で揚げている。ただし、揚げ油の種類は問わない」の4つだ。シンプルな定義ゆえ、からあげの範疇は広く、北海道にルーツをもつ「ザンギ」や宮崎県の「チキン南蛮」、名古屋めしの代表格「手羽先」、さらには「竜田揚げ」や「素揚げ」「フライドチキン」もからあげのカテゴリーに入る。

 では、からあげはいつ誕生したのか? 実は、その起源ははっきりとわかっていない。外食産業のメニューとしては、1932年に東京・銀座にある三笠会館で登場した記録はあるものの、戦前戦中は一般にはからあげは普及していなかったようだ。からあげが身近な存在になるのは63年以降だ。短期間で飼育・出荷できるように改良された食用鶏・ブロイラーが欧米より導入されたことで、高度経済成長期の外食産業でからあげがメニュー化。第1次からあげブームが到来した。一般家庭に普及するのは74年以降。日清製粉(現 日清フーズ)より「日清 から揚げ粉」が発売されたことで、家庭でも手軽にからあげがつくられるようになった。

 「この背景には、当時“三種の神器”の1つといわれた冷蔵庫の普及があります。鶏肉は畜肉のなかでもとくに足が早く、冷蔵庫がなければ、新鮮な鶏肉を手に入れたときしかからあげをつくることができなかった。さらに、全国のインフラ整備が進み、物流網が大きく発展。物流における冷凍・冷蔵技術の進化も加わって、からあげは急速に普及したといえます」(八木氏)

2009年に大分の人気店が開店メディアが注目、時代も後押し

 第1次からあげブームが巻き起こっている。始まりは2009年、からあげ専門店の激戦地・大分県から2つの人気店が東京進出したことがきっかけだ。5月、からあげの聖地・中津市の「元祖 中津からあげ もり山」が、東京都目黒区(学芸大学)に関東初の店舗を出店した。12月にはからあげ専門店発祥の地・宇佐市の「大分唐揚げ専門店 とりあん」が東京都品川区(戸越銀座)にオープン。大分発のしっかり漬け込んだ濃い味で薄衣、大ぶりなからあげは話題を呼び、メディアが注目。からあげブームに火が付いた。

 「おいしさはもちろんのこと、からあげに専門店があるという驚きも人気に拍車をかけました。さらに、時代的な背景も追い風になりました」(八木氏)

 そのポイントは3つある。まず1つ目は08年のリーマン・ショックだ。2つの専門店が東京進出する1年前、世界規模の金融危機となったリーマン・ショックが勃発。日本でもデフレ不況に陥り、消費者の節約志向は顕著になった。「巣ごもり消費」や「弁当男子」「おつまみ男子」などが話題になるなど、外食から中食&内食へのシフトが加速。本格的な味をテイクアウトして食べる専門店のからあげは大いに支持されたのである。これを受けて、異業種から参入する企業が続出、からあげの専門店は増えていった。

 2つ目は、10年の口蹄疫問題だ。口蹄疫ウイルスによる家畜伝染病が流行し、牛肉、豚肉離れが発生。鶏肉の需要が高まったこともからあげブームを後押しした。

 3つ目は、11年の東日本大震災だ。節電も影響して、家庭で揚げ物をするのをためらう人が増え、専門店のからあげはますます定着していった。

 「からあげブームは専門店の東京進出によって始まりましたが、11年以降は居酒屋チェーンやコンビニチェーンもブームの拡大に一役買っています。そのきっかけは、震災によって鶏肉の主要生産地だった岩手県が被災したことで、ブラジル産鶏肉を大量に輸入したことが挙げられます。鶏肉の供給増を活用し、居酒屋チェーンがからあげメニューを推進。スーパーや弁当チェーンもからあげ商品に注力し始めたことから、からあげはより身近な存在へとなっていたのです」(八木氏)

外食、中食、内食あらゆるシーンで人気が拡大

ダイヤモンド・チェーンストア誌4月15日号掲載

 第2次からあげブームを語るうえで忘れてならないのが、サントリーによる「ハイ&カラ」キャンペーンだ。13年9月、「ハイボールにカラアゲでハイ&カラ」とうたうサントリー角ハイボールのテレビCMがスタート。「ハイボールを飲みながら、からあげを食べる」というスタイルが料飲店でも家飲みでも人気を集め、ハイボールブームとからあげブームの両方を盛り上げた。

 「この頃になると、スーパーにもブームが波及し、店内調理の総菜からあげが進化。専門店の味にならい、薄衣でジューシー、大ぶりなからあげがつくられるようになりました。今でも幻のからあげとして有名なのが、14年4月に西友が発売した『国産むね肉使用・中津からあげ』。わずか1年間の販売でしたが大ヒット。今に続く鶏ムネ肉ブームの走りともいえる商品でしたね」(八木氏)

 17年は酉年ということもあって、からあげのメディア露出はいちだんとアップ。外食産業においてもからあげ定食業態が生まれ、店舗数を増やしていった。また、冷凍食品においてもニチレイフーズの「特から®」などからあげのヒット商品が次々と誕生。19年には、家でのからあげを専門店の味のように仕上げる専用油「AJINOMOTO から揚げの日の油」がJオイルミルズから発売された。外食、中食、内食のさまざまなシーンでからあげの人気は拡大の一途。からあげと相性のいいレモンサワーブームも続き、その勢いはとどまるところを知らないようだ。新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、世界的大不況が懸念される今、日本発のからあげがカラリと景気を回復させる救世主になれるか?大いに期待したいところだ。