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初年度1億円!老舗出版社、文藝春秋の食EC「文春マルシェ」好調の意外な理由

 2023年に創業100周年を迎える老舗出版社、文藝春秋(東京都/ 中部嘉人社長)が新規事業として食の通販「文春マルシェ」を立ち上げて1年、累計売上高が1億円を超えた。出版事業とは縁がなさそうにみえるが、実物を確認し取材し出版物を通じて読者に必要な情報を届ける本業でつちかってきたブランドと信頼を新規事業に結びつけた。全国各地の生産者や食通がうなる名店とオリジナル商品も企画。読者の高齢化がすすむなかでいかに既存読者に新たな価値を届けている好例だ。

老舗出版社が食通販事業スタートに至った経緯 

 文藝春秋社内に新規事業開発局ができたのは2019年。読者の高齢化がすすむなかで、それまで若い層にむけた雑誌創刊などに取り組んできたが思うような成果がでなかった。そこで改めて自社刊行物のメーン読者層である5070代に立ち返った。文春マルシェチーフプロデューサーを務める柏原光太郎氏によると「今506070代は経済的にもっとも余裕があって、まだ身体的にも大変健康。しかもあのバブルをへて興味の幅が広い。その人たちに向かってビジネスをしよう」と、新規事業の核にした。

 新規事業開発局ではシニア層に親和性が高いジャンル(食、健康、旅、相続)に関して単純な情報ではなくリアルなものを届けるという大きな構想がある。そのなかで食が一番最初に始まったのは、実は文藝春秋には「食」に関する知見が少なからず蓄積されていたため。「東京いい店うまい店」「B級グルメ」の各シリーズを定期的に刊行してきたことに加え、柏原氏自身も「東京いい店~」を一編集者として制作。この分野に関する“土地勘”もあったこともある。

  「文春マルシェ」は当初は212月からのスタートを予定していたが、その前年からの新型コロナ禍により、人と人との接触をできるだけ避けようとEC需要が急騰した。この時機を逃さぬようにとサービスインを5カ月ほど早め2010月、商品ラインナップ120130点あまりでスタートした。

 商品を集め生産者らと交渉し出品依頼をすすめるには、専門的な知見をもった担当者が必要となる。そこで食の通販バイヤーとして20年以上の経験がある猪口由美氏が参加。猪口氏は主にシニア向けの食の通販サイトの先駆けともいえる「セコムの食」で20年以上生産者らのもとに通いつめてきたこの道のベテラン。ポリシーは「取材して試食してセレクトする」。柏原氏と猪口氏を中心に必ず現地や生産者を訪問し話を聞き取材する。

  文春マルシェサイトには、文藝春秋に馴染みのある作家、著名人がエッセイ「美味随筆」を寄稿。生産者に取材した記事も一つのストーリーとして掲載されることで読み物としての機能ももたせた。

売上1位は「つきじ治作水たきセット 2~3人前」

 スタートして1年の売上数上位をみると1位は「つきじ治作水たきセット 2~3人前」(税込5900円)、2位が「マルシェ限定 海鮮丼 4パック」(同4400円)、3位が「マルシェ限定「ラーメン凪」の担々麺汁あり/汁なし 24色」(同3564円)と、文春マルシェ限定でしか購入できない商品が上位に並ぶ。

 購入者の属性をみるとサイトの来訪者はやや女性のほうが多いが実際の購入者は男性が多め。年齢層も50代以降が多く、田中裕士文春マルシェ部長は「やや年配の生活に余裕のある方々にお楽しみいただきたいという狙いと合致しているのではないか」と手ごたえを語る。売上高構成比は東京40%、神奈川11%、千葉、埼玉6%、大阪、兵庫4%となっている。現在、初回購入から2回目の購入に続くリピーターは2割台後半だという。

データから見えてきたシニア層の食志向

総合ランキング8位の「おうちで揚げない海老カツレツ」は60歳以上にとくに支持されている

 田中部長によると、このサイトを始めてシニア層の食に関する気づきもあったという。たとえば、総合ランキング8位の「おうちで揚げない海老カツレツ」は60歳以上購入件数第4位、60歳以上女性購入件数2位。「お年寄りはあまり揚げ物をとらない」とのイメージがあったが、ともに注文されている商品は「大きな岩牡蠣のグラタン」「オリジナル海鮮丼」「おぐに牧場のハンバーグ」など食に関して幅広い興味、嗜好があることがわかった。

 また、とれたてサバの醤油漬け丼8袋、鳥津さんのじゃこ天2種6袋、笹ちまき4種12個セットなどパックで小分けにされた商品にも需要が多いことがわかった。「好きなものをちょっとずつでも楽しみたいというようなニーズが多い」(田中部長)。

 長引くコロナ禍のなかで緊急事態宣言は解除されたが、経営的に大きな打撃をうけた飲食店や食に関する事業者は少なくない。猪口氏は、このコロナ禍での飲食店や生産者の動きについて「ひとくくりにしてコロナで大変というのはちょっと違う」という。コロナ禍初期は売上が厳しかったが、最近では既存商品を新たに作り直した商品で売り上げは少しずつ上向いていたり、その一方で本当に苦しくて大変なので手を貸してほしい、という人がいたりと回復の度合いは異なっている。「文春マルシェではきちんとその一人ひとりの生産者さんを見ながらお話ししお手伝いできることをしたい」と話す。紹介する商品についても「現地に行って確認したものを、見たまま等身大で紹介するのが基本。話しを盛ったり面白くではなくきちんと正確な情報をお伝えする」。

 事業を開始して1年。柏原プロデューサーは「なかなか出版というものをだけではない形で出版社は生き残っていかなくてはいけないのは出版業界全体の考え。これをさらに伸ばしていきながら出版とのシナジーも展開できれば」と意欲をみせる。当初の目的であったシニア層への浸透も成果がみえたことで、若い層にむけたリーチも模索していく。

 根底にあるのは「信頼を裏切らないものを作り続けていくこと」。出版社が運営している食の通販は先行者も多い。そのなかで文藝春秋が持ち続けているブランドと信頼を新規事業につなげる姿勢は他の事業者にとっても学ぶところが多くありそうだ。