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第279回 元ダイエー常務、打越祐が出社を拒否した理由

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評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)

「絶対に会社は割るべきでない」

 ダイエーを日本一の小売りチェーンに育て上げた経営のツー・トップである中内㓛と力(つとむ)の兄弟がいよいよ袂(たもと)を分かつというとき、渥美俊一の仲介により、幹部としてスカウトされて入社していた東大同期の打越祐(たすく)は、板挟みのようになりながら、怯(ひる)まずに旗幟(きし)鮮明にし、譲らなかったと振り返った。

 「ぜーったいに会社は割るべきではない、というのが唯一、私が兄弟おふたりに主張したことでした」

 打越は、律とした姿勢を崩さず、無駄口に時間を割かなかった。明言こそしなかったものの、肉親の諍(いさか)いを会社に持ち込み、私物化するも同然の醜態への道義的不同意と、ダイエーという日本を代表する影響力を持った企業の責任と将来とを踏まえての合理的な判断からであったことがその揺るがぬ理由であったと、静かな語り口から伝わってきた。

 打越は、中内㓛が住友銀行の「法皇」と呼ばれた絶対権力者である堀田庄三(1899-1990)から、ダイエーのすべての株券を預ける代わりに20億円の融資を受ける際にも、政財官界の伝手(つて)を頼り、黒子に徹して尽力している。むろん、いくら顔が広くとも、打越ひとりの力でまとめあげられるような案件ではない。政商やフィクサーと呼ばれる人物も含め、多くの大立者がかかわっている。生前、その詳細についてかなり踏み込んで語っていたが、関係者の多くは幽明境を異にし、打越自身が没して7年になるとはいえ、恥も外聞もなく書き散らせばいいというものではなかろう。

 中内㓛の長弟の博が経営するスーパーサカエを身売りのようにしてでも生き長らえる方途を探るというときも、打越の立ち回り方は大きく変わらない。㓛が集めた仲間らと、力の神戸商科大学時代の級友の幹部たちによっておおむね構成されているマネジメント陣が分裂しそうになっても、打越が中立の立場で住友銀行の堀田らへの根回し役を担うことができたのは、自らを称していわく「私はまったくの第三者で色が着いていなかった」ためであったと回想していた。

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