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ビッグチェーンが次々と系列化…「流通革命」とは一体何だったのか?

「流通支配権を流通経済の担い手に奪い返す」夢とロマン

左から、西川俊男さん、堤清二さん、中内㓛さん
左から、西川俊男さん、堤清二さん、中内㓛さん

 大手チェーンストア企業が次々と総合商社など大企業の系列に組み込まれていくことにとても寂しい思いをしている。

  チェーンストアの創業者たちは、良きにつけ、悪しきにつけ、頭のどこかに「流通革命」という言葉をよぎらせ、自らが先頭に立って企業の巨大化を目指してきたはずだ。

 メーカーが握る価格決定権を奪い取るべく、「暗黒大陸」と言われた業界のアウトローとして、消費者からの支援だけを頼りに商慣習などのアンシャンレジーム(旧体制・秩序)との闘争を繰り返してきた。

ダイエーを創業した故中内功さんは、『わが安売り哲学』(千倉書房)のなかで「流通支配権を生産者から流通経済の担い手に奪い返すのが流通革命である」と高らかに訴えた。 

中内さんだけではない。伊藤雅俊さん、岡田卓也さん、故堤清二さん、故西川俊男さん、故西端行雄さん、故大高善雄さん、清水信次さん、故和田源三郎さん、土屋嘉雄さん…。

  数え上げれば、枚挙のいとまがないほどだが、みなそれぞれの商売に、持ちうる能力のすべてを注ぎ込み、競い合いながら道なき場所に道をつくり、今までに見たことのない新しい事業体として飛躍させていった。

 同じ夢やロマンを持ちながら事業成功を目指した者は数知れない。だが、ほとんどの者は志半ばで、ビジネスモデルを確立できず、競争に敗れ、道に倒れた。

 先に挙げた創業者たちは、その死屍累々をかきわけ、踏み台にして、頂点を目指した。

 やがて創業者たちの理念と情念は、消費者から絶大な支持を受けるようになり、いつしかビッグチェーンと呼ばれるようになった。

 

 

柳井正、似鳥昭雄、土屋裕雅…
今なお続ける、流通革命の志士達

 巨大化を続ける中で、顔をのぞかせるようになったのは、組織の官僚化と創業時の夢やロマンには興味のないサラリーマン社員の増加…大企業病だ。

 いまや創業者たちから直接薫陶を受けたことのない世代で企業はまわっている。 

「流通革命」は死語となり、創業の熱い思いは、会社案内や社史に言葉という記号して掲載されるだけ。その中で、経営を安定させるべく、採られる策の1つが大企業の資本を受け入れてのグループ入りである。 

流通業界のイノベーター企業は堕落し、「寄らば大樹の陰」よろしく、再び川上の支配下に戻っているように見えると言ったら言い過ぎだろうか? 

巨大企業との協業は、果たして「流通革命」の新しい形といえるのだろうか?

いえるとするならば、あの「流通革命」とは一体何だったのか? 

ファーストリテイリングの柳井正さんやニトリの似鳥昭雄さん、カインズの土屋裕雅さんのように、自らは積極的に主張しないものの、「流通革命」をいまなお血眼になって続けている志士たちはいる。

また、いつまでも独り無頼派として生き残っていくことは難しく、世間との調和も大事なことは理解しているつもりだ。

 それでも世の中の趨勢が系列化に傾いていくことは寂しいものである。